青木さんの頭の中は妄想で一杯。見るからに危なそうなその容姿、そのままの人だ。彼の頭の中でその肥大化した妄想は一体どこまで膨張し続けるのだろうか。とどまることを知らない妄想はエスカレートを続け壮大なシンフォニーと化して街を破壊し尽くすこととなる。
巨大化した象(ほんとは熊だったはずなのに)が、チープな東宝特撮映画よろしくミニチュアの街を踏み壊していく。この壮大なラストシークエンスが延々と続いていく。伊福部昭の「ゴジラのテーマ」をフルオーケストラ聞かせてくれる大盤振る舞いである。もうこうなると、どんなことになってしまっても構わないから、好きにしてくれ、としか言いようが無い。僕は深いため息をついて目を閉じる。(もちろん嘘です。必死になって舞台を見てたのは言うまでもない。あくまでこれはイメージの世界での記述である。)
この芝居には、理屈とか、意味といったどこの芝居にも巧拙はあれ、必ず存在するような常識的なものはない。断じて、そんなもの、ここにはあるはずが無い。
5重人格の女の話だとか、その女性が3重人格の男と出会って、この2人の恋の行方は一体どうなっていくのか?だとか、そういうラブストーリーなのだが、この芝居についてのこういうわかりやすい説明はきっと不要である。
出来心からボールペン1本を万引きしてしまった女(奥田ワレタが、わかりやすい演技で凄い)が、かなり怪しいオタク店員(久保貫太郎が、汗臭い演技で凄い)と2人きりで事務所の中にいるという緊迫したシーンから芝居はいきなり始まる。だが、このスリリングな幕開きから、芝居は一向に先へと進まない。2人のモノローグがずっと続き、いいかげん飽きてくるのにまだ続く。我慢が限界まで達した時、ようやく森下亮の第2の人格が登場。ストーリーが進展して、ほっとするのもつかの間、重実百合の女サイドの第2の人格(これが、凶暴)が出てきて、ここからは怒濤のエスカレートが始まる。走り出したらもう止まらない。
ほんとに一度動きだしたらもうノンストップだ。出てくる出てくる、次から次へと果てしなく続くタイトル通りのマトリョーシカ状態で話は暴力的な展開を見せていくのは、いつものクロムだ。ただ、あまりに当たり前のパターンを踏んだエスカレート振りに、少しずつ見ていて退屈してくる。3つ目、4つ目、5つ目と新しい人格が出てくる度に、同じ段取りでストーリーが流れていき、そのワンパターンがつらくなっていく。しかし、それもまた青木さんのねらいなのだ。話の単調さに、イライラさせてしまうことも計算のうち、そこから芝居はラストの暴力シーンに一気呵成に突入していく。
ただただ暴れまくる森下くんと、それに立ち向かうその他の人たちという図式には何の意味もない。意味のないことを、これでもか、これでもか、と見せ続けていくことになる。ここまでで、書くのを忘れていたが、板倉チヒロの頭に三角定規を刺されて殺される警官がとてもいい。彼がいいのはいつものことだが、こんなにもドラマの核心にいるのに、どうでもいいポジションを与えられ、それで目立たず芝居の存在し続けれるって凄い。忘れられてしまうくらいに存在感がある。
どうでもいいことだが、僕の後ろの席で、開演中ずっと鉛筆で書き物をしてる人がいた。芝居見てるので振り返れなかったが、とても耳ざわりだった。アレは一体何だったのだろうか。芝居を見ながら、メモをとってたのかなぁ。それにしても、あまりにしつこくて、イライラした。想像以上にその行為はなぞだった。もしかしたら、観客をイライラさせるために客席に何人か、鉛筆カリカリ部隊を配置するという青木さんの作戦だったのだろうか。本人に聞いてもよかったのだが、きっと否定されるはずだ。青木さんは自分がしていても、その事実を認めようとしない人だから。
殺人を犯してしまった女は、果たして無事に自首できるのか、というベースとなる話をこんなにも大切にしているくせに、そんな話どうでもいいや、としか思っていない青木節全開の限りなくバカバカパワー満載の無意味の果てを行く超大作である。
巨大化した象(ほんとは熊だったはずなのに)が、チープな東宝特撮映画よろしくミニチュアの街を踏み壊していく。この壮大なラストシークエンスが延々と続いていく。伊福部昭の「ゴジラのテーマ」をフルオーケストラ聞かせてくれる大盤振る舞いである。もうこうなると、どんなことになってしまっても構わないから、好きにしてくれ、としか言いようが無い。僕は深いため息をついて目を閉じる。(もちろん嘘です。必死になって舞台を見てたのは言うまでもない。あくまでこれはイメージの世界での記述である。)
この芝居には、理屈とか、意味といったどこの芝居にも巧拙はあれ、必ず存在するような常識的なものはない。断じて、そんなもの、ここにはあるはずが無い。
5重人格の女の話だとか、その女性が3重人格の男と出会って、この2人の恋の行方は一体どうなっていくのか?だとか、そういうラブストーリーなのだが、この芝居についてのこういうわかりやすい説明はきっと不要である。
出来心からボールペン1本を万引きしてしまった女(奥田ワレタが、わかりやすい演技で凄い)が、かなり怪しいオタク店員(久保貫太郎が、汗臭い演技で凄い)と2人きりで事務所の中にいるという緊迫したシーンから芝居はいきなり始まる。だが、このスリリングな幕開きから、芝居は一向に先へと進まない。2人のモノローグがずっと続き、いいかげん飽きてくるのにまだ続く。我慢が限界まで達した時、ようやく森下亮の第2の人格が登場。ストーリーが進展して、ほっとするのもつかの間、重実百合の女サイドの第2の人格(これが、凶暴)が出てきて、ここからは怒濤のエスカレートが始まる。走り出したらもう止まらない。
ほんとに一度動きだしたらもうノンストップだ。出てくる出てくる、次から次へと果てしなく続くタイトル通りのマトリョーシカ状態で話は暴力的な展開を見せていくのは、いつものクロムだ。ただ、あまりに当たり前のパターンを踏んだエスカレート振りに、少しずつ見ていて退屈してくる。3つ目、4つ目、5つ目と新しい人格が出てくる度に、同じ段取りでストーリーが流れていき、そのワンパターンがつらくなっていく。しかし、それもまた青木さんのねらいなのだ。話の単調さに、イライラさせてしまうことも計算のうち、そこから芝居はラストの暴力シーンに一気呵成に突入していく。
ただただ暴れまくる森下くんと、それに立ち向かうその他の人たちという図式には何の意味もない。意味のないことを、これでもか、これでもか、と見せ続けていくことになる。ここまでで、書くのを忘れていたが、板倉チヒロの頭に三角定規を刺されて殺される警官がとてもいい。彼がいいのはいつものことだが、こんなにもドラマの核心にいるのに、どうでもいいポジションを与えられ、それで目立たず芝居の存在し続けれるって凄い。忘れられてしまうくらいに存在感がある。
どうでもいいことだが、僕の後ろの席で、開演中ずっと鉛筆で書き物をしてる人がいた。芝居見てるので振り返れなかったが、とても耳ざわりだった。アレは一体何だったのだろうか。芝居を見ながら、メモをとってたのかなぁ。それにしても、あまりにしつこくて、イライラした。想像以上にその行為はなぞだった。もしかしたら、観客をイライラさせるために客席に何人か、鉛筆カリカリ部隊を配置するという青木さんの作戦だったのだろうか。本人に聞いてもよかったのだが、きっと否定されるはずだ。青木さんは自分がしていても、その事実を認めようとしない人だから。
殺人を犯してしまった女は、果たして無事に自首できるのか、というベースとなる話をこんなにも大切にしているくせに、そんな話どうでもいいや、としか思っていない青木節全開の限りなくバカバカパワー満載の無意味の果てを行く超大作である。