アサヒカメラに連載された『シーナの写真日記』の02年1月号から09年6月号を収録したもの。写真とエッセイからなる。まぁ、いつものシーナさんだ。読んでいて(同時に見ていて)なんだかこちらまでのんびりした気分にさせられる。旅の空の下で、写真を撮り、人と出会い、それを繰り返していく。永遠にそんなふうにして人生を過ごす。昔からそうだし、今もずっとそんな感じだ。
椎名さんの本を読み始めてもう何10年たったことだろうか。『わしらは怪しい探検隊』から始まり『哀愁の町に霧が降るのだ』『さらば国分寺書店のオババ』経由で、その後はすべての本をリアルタイムで読み続けてきた。100冊は読んでいるはずだ。書く方も書く方だが読むほうも大慨だろう。飽きないというよりも、もうなんだか惰性のようになっている。でも、僕は彼が死ぬまで読み続けてしまうのだろう。これは小説とか、エッセイとかではない。ただの『人生』だ。
多作だし、ほとんどがただの日記みたいなものだ。まぁ、小説もたくさんあるが、どれもこれも同じようなものばかりで、新鮮さなんかない。でも、それでいいのだ。僕は小説やエッセイなんかを読んでいる訳ではない。シーナさんを読んでいるのだから。
今回の旅の写真集は、思い出の中のいくつもの旅での写真に椎名さんが解説を加えたものだ。このシリーズでは3作目になるらしい。先の2作も読んでるはずだが、当然タイトルなんか覚えてはいない。
懐かしい気分にさせられる。だが、椎名さんはここに、年寄りのようなただの思い出話を語るのではない。記憶の中にあるいくつもの大切な風景を再検証しながら、また、そこに向かうための準備をしている。どれもこれも終わったことなんかではない。今も継続中のことばかりだ。世界を旅して、たくさんの人や動物、風景と出会う。生涯が旅の中にある。そして、それは現実の旅だけではない。得意の妄想の旅もある。(小説の中でそれは遺憾なく発揮される。あの『アドバード』や『水域』を代表作にして)
こうしてシーナ・ワールドは永遠に続くのだ。
椎名さんの本を読み始めてもう何10年たったことだろうか。『わしらは怪しい探検隊』から始まり『哀愁の町に霧が降るのだ』『さらば国分寺書店のオババ』経由で、その後はすべての本をリアルタイムで読み続けてきた。100冊は読んでいるはずだ。書く方も書く方だが読むほうも大慨だろう。飽きないというよりも、もうなんだか惰性のようになっている。でも、僕は彼が死ぬまで読み続けてしまうのだろう。これは小説とか、エッセイとかではない。ただの『人生』だ。
多作だし、ほとんどがただの日記みたいなものだ。まぁ、小説もたくさんあるが、どれもこれも同じようなものばかりで、新鮮さなんかない。でも、それでいいのだ。僕は小説やエッセイなんかを読んでいる訳ではない。シーナさんを読んでいるのだから。
今回の旅の写真集は、思い出の中のいくつもの旅での写真に椎名さんが解説を加えたものだ。このシリーズでは3作目になるらしい。先の2作も読んでるはずだが、当然タイトルなんか覚えてはいない。
懐かしい気分にさせられる。だが、椎名さんはここに、年寄りのようなただの思い出話を語るのではない。記憶の中にあるいくつもの大切な風景を再検証しながら、また、そこに向かうための準備をしている。どれもこれも終わったことなんかではない。今も継続中のことばかりだ。世界を旅して、たくさんの人や動物、風景と出会う。生涯が旅の中にある。そして、それは現実の旅だけではない。得意の妄想の旅もある。(小説の中でそれは遺憾なく発揮される。あの『アドバード』や『水域』を代表作にして)
こうしてシーナ・ワールドは永遠に続くのだ。