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映画・演劇のレビュー

青年団『月の岬』

2012-06-28 23:16:35 | 演劇
 この緊張感がなんとも心地よい。内田淳子がすばらしい。この作品から彼女をはずすことは出来ないのだ、と改めて感じさせられる。初演からずっと彼女は変わらない。彼女の一挙手一投足に見とれてしまう。ここには特別なことは何もしない。ただ、ふつうに日常生活を過ごすだけなのに、それがこんなにもスリリングなのは、この作品の魅力だ。ストーリーの仕掛けではない。ありのままの人の営みの中から醸し出されてくるものが、ここまでドキドキさせるのだ。

 弟(弟を演じる太田宏も初演から変わらない)の結婚式の朝の風景から始まる。次は、新婚旅行から彼が帰ってくる日、昔の恋人が訪ねてくる。やがて、彼女がいなくなり、そんな彼女が不在の家に、昔の恋人の妻と娘が訪ねてくるまで。失踪は大きな事件だが、それさえ、静かな日常の中に包み込んでしまうこの芝居の深さに、驚く。自殺をほのめかす描写もあるのに、誰も大騒ぎしない。30代の大人だから、バカはしないと安心しているのか。弟と、彼が担任するクラスの少女の関係とか、彼が結婚した女性と、彼女との確執とか。表だって描かれることはない。だが、不安にさせる要因は多々ある。でも、明確な答えはいっさい提示されないまま、である。

 平田オリザは、いつもの自分の作品とは、タッチを変えて、まるで、ふつうの芝居のような(ということは、いつもは普通じゃない、ってことかぁ)芝居を作る。とはいえ、それって演出を変えているのではない。台本(松田正隆)が、物語作家のものだから、平田さんはいつも通りでも、印象がかなり変わるというそれだけの話なのだ。でも、松田さんの、一見まるでそっけない台本は、平田さんの演出と見事にマッチする。完璧な芝居がここに現出する。

 この島で生きることの喜びと悲しみ。姉と弟の絆。そこには一切何物であろうとも、入り込むことは出来ない。近親相姦的な関係だが、そのことを殊更取り立てて描くのではない。生まれたときからここにいて、ずっと一緒に暮らしてきた。お互いが空気のような存在になっている。好きとか、そんなものではなく、もうひとつの自分のようになっている。だから、他の人間が、それが彼の妻であろうとも、入り込むことはできない。だいたい、新婚夫婦と、彼の姉の3人で同居するなんて、今時ありえない設定だろう。15年前の作品であろうとも、そうだ。今回も設定は「今」とさせてあるから、2012年、である。長崎の離島が舞台だから、田舎ではこういうのもありなのかもしれないが、とても、これが現代の話とは思えない。でも、それもこの作品の魅力のひとつなのだ。いつとも知れない時、ここから遠く離れた場所、今、どこかで、こんな姉と弟がいてひっそり、暮らしている。

 男が彼女のもとに、やってきて、しつこく、つきまとう。彼女は全く取り合うことはない。2人はかつて関係を持ったこともある(ようだ)。しかし、本当は好きでも何でもない。夏のはじめの、結婚式の朝から、姉が行方不明になった夏の終わりの日まで。まるで何もなかったように静かに終わっていく。終盤の妻の姿が、姉と重なる部分がすごい。あの悪夢は何なのか。彼女の流産をさりげなく示すシーンも衝撃的だが、帯締めを巡るラストシーンで、妻はやがていなくなった姉と重なる。妻を演じる井上三奈子(初演では女子高生だった)の迫真の演技に眼を見張らされる。だが、それすら不在の内田淳子の存在が大きく影響する。

 この作品を見るのはこれで3度目なのだが、今まで、内田さんと同世代の金替康博が演じた姉の不倫相手を、大塚洋が演じることで、作品は今まで以上に生々しいものとなった。あんなに年の離れたハゲおやじ(すみません!)が、あんなにもきれいな姉と、関係を持つわけがない、と思わせるところに、リアルを感じさせる。

 昔静かな演劇なんてのが流行って、松田さんのこの作品もその流れを汲む。だが、そんなことはどうでもいいのだ、ということを改めて感じさせられた。この傑作は、今見てもまるで色褪せない。それどころか、何度見てもこの緊張感に魅了させられる。すばらしい作品だ。






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