原作をとても上手くまとめてある。2時間強の映画にするためには、短編連作のすべてのエピソードをフォローすることは、不可能だから選ぶ必要がある。その選択如何によっては的を外す可能性もあった。とても賢い選択がなされ、全体のイメージを的確に伝える。
ただ、映画としてのダイナミズムには欠けるものになった。映画でしかできないような大胆な冒険はここにはない。題材的にもそれは仕方ないことかもしれないが、それにしても地味すぎる。劇場用映画というより、よく出来たTVドラマの域を超えない。日本TV製作だから、1年後にはTV放映され、それも目的になっているのだから、TV仕様は仕方のないことか。でも、シネスコでつくられてあるし、スタッフ、キャストのこだわりは当然、劇場用映画のそれである。暗いシーンが多く、それもTVでは本来嫌われることだ。でも、気にすることなく、やっている。平川雄一朗監督はいつものようにとても誠実で、丁寧な仕事をしている。この原作に惚れこみ、この世界を忠実に再現することを大事にした。彼だからこそ出来た仕事だろう。そういう意味では仕上がりにとても満足している。
小さな世界をちゃんと、そのままに見せることが目的だ。ツナグなんていうあり得ない存在にリアリティを与える。というよりも、そこに夢を見る。もし、そんな存在がこの世にあるのなら、どんな夢を見ますか、ということが、この映画の目的なのだ。ありえないことを目の前にする、それは映画の魔術だ。SFXを駆使して壮大な夢物語をみせるのも、ありだろう。だが、このお話はそういうのではなく、なんでもない日常の中にツナグという小さな存在を放り込んで、彼と関わるほんの一握りの人たちとのドラマを見せる。
自分がツナグになることを知らされた主人公(松坂桃李)が、おばあちゃん(樹木希林)の指導のもと、3つの仕事をこなすまでのお話である。不思議なことを描くのではない。その不思議な力を通して、生きているものと死んでいるものとが再会する一夜のドラマのほうを、見せるのだ。後悔のない人生なんかない。だが、やり直すことなんかできない。でも、もし、たった1度だけ、失った者と、会えるのならば、その時に何をするのか。映画が描きたいのはそのことだけなのだ。
多くは望まない。でも、そのささやかなことだけは大切にしたい。そのためにツナグは無償の行為をする。自分の人生のたくさんの時間を犠牲にしても、誰かのために、働く。そんな運命を、父から、祖母から、受け継ぎ、受け入れる。
ただ、映画としてのダイナミズムには欠けるものになった。映画でしかできないような大胆な冒険はここにはない。題材的にもそれは仕方ないことかもしれないが、それにしても地味すぎる。劇場用映画というより、よく出来たTVドラマの域を超えない。日本TV製作だから、1年後にはTV放映され、それも目的になっているのだから、TV仕様は仕方のないことか。でも、シネスコでつくられてあるし、スタッフ、キャストのこだわりは当然、劇場用映画のそれである。暗いシーンが多く、それもTVでは本来嫌われることだ。でも、気にすることなく、やっている。平川雄一朗監督はいつものようにとても誠実で、丁寧な仕事をしている。この原作に惚れこみ、この世界を忠実に再現することを大事にした。彼だからこそ出来た仕事だろう。そういう意味では仕上がりにとても満足している。
小さな世界をちゃんと、そのままに見せることが目的だ。ツナグなんていうあり得ない存在にリアリティを与える。というよりも、そこに夢を見る。もし、そんな存在がこの世にあるのなら、どんな夢を見ますか、ということが、この映画の目的なのだ。ありえないことを目の前にする、それは映画の魔術だ。SFXを駆使して壮大な夢物語をみせるのも、ありだろう。だが、このお話はそういうのではなく、なんでもない日常の中にツナグという小さな存在を放り込んで、彼と関わるほんの一握りの人たちとのドラマを見せる。
自分がツナグになることを知らされた主人公(松坂桃李)が、おばあちゃん(樹木希林)の指導のもと、3つの仕事をこなすまでのお話である。不思議なことを描くのではない。その不思議な力を通して、生きているものと死んでいるものとが再会する一夜のドラマのほうを、見せるのだ。後悔のない人生なんかない。だが、やり直すことなんかできない。でも、もし、たった1度だけ、失った者と、会えるのならば、その時に何をするのか。映画が描きたいのはそのことだけなのだ。
多くは望まない。でも、そのささやかなことだけは大切にしたい。そのためにツナグは無償の行為をする。自分の人生のたくさんの時間を犠牲にしても、誰かのために、働く。そんな運命を、父から、祖母から、受け継ぎ、受け入れる。