「同時代の海外戯曲」シリーズの第2弾だ。昨年に引き続き、今回もまたとても刺激的な作品になっている。これはアンという不在の女性の存在を巡る7人の男女による噂話である。話がどんどん進んでいくと、その空洞の存在であるはずのアンが明確なものとして姿を現すというのが、この手のお話のパターンなのだが、なんのなんの、この作品のアンは、話が進むにつれてますます曖昧な存在に姿を変えていくのだ。あげくは人ではなく車になってしまったり、もう何がなんだか、わからない。
見ている我々は煙にまかれる。しかし、そんなアンから目が離せない。途中からは諦めて、ただ目の前で語られるアンのその瞬間の姿を追いかけていくことになる。頭でわかろうとしても、どうしようもないから、彼女の存在を感じるしかない。それくらいに、ここにはいない彼女は魅力的なのである。それは、くりかえし、くりかえし彼女のことを語り続ける7人の男女が証明してくれる。
だが、この7人の語り手の存在もなんだか曖昧だ。彼らは特定の誰かではない。17のエピソードの中で、その時、その時別々の様々な話を述べていく別人のように見える。しかし、そのくせそれぞれの役者は一貫したキャラクターを演じる(ように見える)。
7人のせりふは作者によって振り分けられたものではない。誰がどのせりふをしゃべってもいいらしい。割り振りは役者と演出が稽古の中で決めていったようだ。しかも、演じ手も7人だとは指定されていない。それも演出家の笠井さんが決めたようだ。この独自のスタイルによる実験的な演劇は、そんなつかみどころのなさが刺激的なのだ。緊張感のある、でも、茫洋とした独自の世界をそこに提示している。
見ている我々は煙にまかれる。しかし、そんなアンから目が離せない。途中からは諦めて、ただ目の前で語られるアンのその瞬間の姿を追いかけていくことになる。頭でわかろうとしても、どうしようもないから、彼女の存在を感じるしかない。それくらいに、ここにはいない彼女は魅力的なのである。それは、くりかえし、くりかえし彼女のことを語り続ける7人の男女が証明してくれる。
だが、この7人の語り手の存在もなんだか曖昧だ。彼らは特定の誰かではない。17のエピソードの中で、その時、その時別々の様々な話を述べていく別人のように見える。しかし、そのくせそれぞれの役者は一貫したキャラクターを演じる(ように見える)。
7人のせりふは作者によって振り分けられたものではない。誰がどのせりふをしゃべってもいいらしい。割り振りは役者と演出が稽古の中で決めていったようだ。しかも、演じ手も7人だとは指定されていない。それも演出家の笠井さんが決めたようだ。この独自のスタイルによる実験的な演劇は、そんなつかみどころのなさが刺激的なのだ。緊張感のある、でも、茫洋とした独自の世界をそこに提示している。