ジョン・カーペンター監督が今から30年前に撮った映画のリメイクである。だが、ただのリメイクではない。最近流行の前日譚というスタイルを取る。あの映画の始まる直前の出来事、である。宇宙からやってきていた「何物か」、と最初に出会う瞬間を描く、と言いながらも、話自体は同じで、結果的にはリメイクなのだ。
厳密に言えば、前作だってハワード・ホークス監督作品のリメイクだった。というか、このストーリー自体がどこにでもある話なのだ。新味はない。だが、このホラーの定石を踏む展開をいかに見せるかが、作者の腕の見せどころだ。結構やりがいのある仕事ではないか。大作仕立ての宣伝で大ヒットしたカーペンター版だったが、その実あれは完全B級映画だ。
今回の監督であるマティス・バン・ヘイニンゲン・Jr.(どんな人だろう?)も、そのB級テイストを大事にして、丁寧な仕事をしている。ちゃんとお金と時間をかけて、こういうなんでもないホラーを作るって素敵なことだ。手抜きされたら目も当てられない映画になる。まぁ、そんなのはDVDリリースで山のようにツタヤに並んでいる。同じような安さっぽさで、極上のB級映画を作るのが、カーペンターのやってきた仕事だった。その伝統をちゃんと受け継いでいるのが、いい。だいたいリドリー・スコット『エイリアン』も基本は同じである。ただ、その見せ方がA級テイストだっただけ。それはアプローチの問題なのだ。クリーチャーの造型には絶対に手を抜かない、というのもいい。そこはこの手の映画の生命線だからだ。しかも、驚くべきゲテモノというのが、この映画の使命である。なかなか難しい話だ。南極の基地という閉鎖された空間で謎の生命体との戦いを描くというそれだけの話で、いかに緊張感を持続させるのかが、課題だ。103分という上映時間もギリギリだろう。これ以上の長さになれば、ダレルか、そこを避けるためにはもっとドラマに、奥行きが必要になる。でも、そうなるとこの映画のテイストを損なう。
そういう意味でもこれは、絶妙のバランス感覚であろう。 マティス・バン・ヘイニンゲン・Jr.監督(それにしても長い名前だ!)は安っぽさと、大作感を、ちゃんとブレンドして、この作品を1本の娯楽映画として完結させる。冒頭から無駄のない展開で話の中に一気に引き込まれる。これは思いもしない拾い物である。
厳密に言えば、前作だってハワード・ホークス監督作品のリメイクだった。というか、このストーリー自体がどこにでもある話なのだ。新味はない。だが、このホラーの定石を踏む展開をいかに見せるかが、作者の腕の見せどころだ。結構やりがいのある仕事ではないか。大作仕立ての宣伝で大ヒットしたカーペンター版だったが、その実あれは完全B級映画だ。
今回の監督であるマティス・バン・ヘイニンゲン・Jr.(どんな人だろう?)も、そのB級テイストを大事にして、丁寧な仕事をしている。ちゃんとお金と時間をかけて、こういうなんでもないホラーを作るって素敵なことだ。手抜きされたら目も当てられない映画になる。まぁ、そんなのはDVDリリースで山のようにツタヤに並んでいる。同じような安さっぽさで、極上のB級映画を作るのが、カーペンターのやってきた仕事だった。その伝統をちゃんと受け継いでいるのが、いい。だいたいリドリー・スコット『エイリアン』も基本は同じである。ただ、その見せ方がA級テイストだっただけ。それはアプローチの問題なのだ。クリーチャーの造型には絶対に手を抜かない、というのもいい。そこはこの手の映画の生命線だからだ。しかも、驚くべきゲテモノというのが、この映画の使命である。なかなか難しい話だ。南極の基地という閉鎖された空間で謎の生命体との戦いを描くというそれだけの話で、いかに緊張感を持続させるのかが、課題だ。103分という上映時間もギリギリだろう。これ以上の長さになれば、ダレルか、そこを避けるためにはもっとドラマに、奥行きが必要になる。でも、そうなるとこの映画のテイストを損なう。
そういう意味でもこれは、絶妙のバランス感覚であろう。 マティス・バン・ヘイニンゲン・Jr.監督(それにしても長い名前だ!)は安っぽさと、大作感を、ちゃんとブレンドして、この作品を1本の娯楽映画として完結させる。冒頭から無駄のない展開で話の中に一気に引き込まれる。これは思いもしない拾い物である。