展覧会のAの田中守幸さんが昨年亡くなられた。その追悼公演を往来がするのは当然のことだろう。往来が田中作品を取り上げて上演し、座付き作家のように上演していた時期の作品はほぼ全部見ている。鈴木さんだけではなく、田中さん自身も何本も演出を担当されたはずだ。田中さんの劇団での公演と往来での公演の違いは明らかでそこが面白かった。田中さん自身もその差を意識して作品作りをしたのではないか。それはとても充実した時間だったはずだ。
今改めて田中作品の意味を問うためにもこの作品の上演は興味深い。鈴木さんは初心に帰り、新しい試みをするのではなく、最初の感動をよみがえらせようとした。オリジナルからの改変はない。30年前の作品なので、設定は古くなっている部分もある。でも、そんな些細なことには全くこだわらない。『うる星やつら』のキャラクターだけではなく、当時の時事ネタや、芸能ネタもそのままにした。そんなつまらない部分をいじる必要はない。今の観客にはわからないでもいい。古くなる部分も残すことで、当時の感触をよみがえらせるのではない。このお話が普遍的な問題を核心に持つから気にしないだけ。
宝塚歌劇団を題材にしたわけだが、そこにもこだわらないでいい。役者が演じること。スポットライトを浴びること。舞台という空間で生きること。そこに生じる光と影。ここにちりばめられた様々なイメージは「女優」というよりも、もっと本質にさかのぼり、人間の営み自身を象徴したものだ。彼女たちが輝きたいと願いながら、願いはかなわないで、埋もれていく姿は寂しい。それでもけなげに明るく生きている彼女たちを追いながら、やがて、ひとりずつ消えていくお話は挫折ということばで括れない。
大階段を舞台に作り、そこで4人の売れない女優たちが繰り広げるお話に耳を傾ける。演出家の蜷川や、大女優、薬師丸ひろ子という本当なら手の届かない存在が彼女たちのもとにやってくる。そして、同じように悩み苦しむ姿を見せる。これは舞台という空間で生きる全てのものたちへのオマージュでもある。誰が、ではなく、誰もが、である。誰もがこんなふうにして生きている。演出の鈴木さんは派手な見せ方ではなく、小劇場らしい小さな芝居をこの大階段で見せようとする。華やかさとは無縁だった彼女たちのジタバタしたあがきを笑いにくるんで見せていく。2部構成にして、後半はあきらかにタッチを変えたのもいい。後半、ミステリー作品になり、虚実のはざまで彼女たちを右往左往させる。現実と幻想のはざまは、演じることと、生きることのはざまでもある。
この作品だけではなく、田中作品はいつもミステリースタイルも援用しながら、エンタメとしても楽しめる作品になっている。そこが往来にぴったり合うのだ。30年前の作品がこんなにも新鮮だった。
今改めて田中作品の意味を問うためにもこの作品の上演は興味深い。鈴木さんは初心に帰り、新しい試みをするのではなく、最初の感動をよみがえらせようとした。オリジナルからの改変はない。30年前の作品なので、設定は古くなっている部分もある。でも、そんな些細なことには全くこだわらない。『うる星やつら』のキャラクターだけではなく、当時の時事ネタや、芸能ネタもそのままにした。そんなつまらない部分をいじる必要はない。今の観客にはわからないでもいい。古くなる部分も残すことで、当時の感触をよみがえらせるのではない。このお話が普遍的な問題を核心に持つから気にしないだけ。
宝塚歌劇団を題材にしたわけだが、そこにもこだわらないでいい。役者が演じること。スポットライトを浴びること。舞台という空間で生きること。そこに生じる光と影。ここにちりばめられた様々なイメージは「女優」というよりも、もっと本質にさかのぼり、人間の営み自身を象徴したものだ。彼女たちが輝きたいと願いながら、願いはかなわないで、埋もれていく姿は寂しい。それでもけなげに明るく生きている彼女たちを追いながら、やがて、ひとりずつ消えていくお話は挫折ということばで括れない。
大階段を舞台に作り、そこで4人の売れない女優たちが繰り広げるお話に耳を傾ける。演出家の蜷川や、大女優、薬師丸ひろ子という本当なら手の届かない存在が彼女たちのもとにやってくる。そして、同じように悩み苦しむ姿を見せる。これは舞台という空間で生きる全てのものたちへのオマージュでもある。誰が、ではなく、誰もが、である。誰もがこんなふうにして生きている。演出の鈴木さんは派手な見せ方ではなく、小劇場らしい小さな芝居をこの大階段で見せようとする。華やかさとは無縁だった彼女たちのジタバタしたあがきを笑いにくるんで見せていく。2部構成にして、後半はあきらかにタッチを変えたのもいい。後半、ミステリー作品になり、虚実のはざまで彼女たちを右往左往させる。現実と幻想のはざまは、演じることと、生きることのはざまでもある。
この作品だけではなく、田中作品はいつもミステリースタイルも援用しながら、エンタメとしても楽しめる作品になっている。そこが往来にぴったり合うのだ。30年前の作品がこんなにも新鮮だった。