ようやくこの映画を見ることができた。この映画だけではない。続々と公開延期になっていた作品が上映されている。さまざまな困難を乗り越えて、いくつもの映画がよくやく日の目を見る。でも、現状は過酷だ。本来なら大ヒットが可能だったはずの作品が十分な興行成績を収めることもなく劇場から消えていくというパターンも続出している。この先も映画界にとっては試練が続く。(もちろん、コロナ禍においては多かれ少なかれ、どこでも同じだろうが。)
前作が素晴らしすぎた。キアヌ・リーブスの『ジョン・ウィック』に負けないくらいに面白い作品に仕上がっていたのだから、2作目に期待しないわけはない。だが、見終えてこんなはずじゃなかったという感想しか浮かばない。驚きの大失策である。あり得ない。
期待が大きすぎたからではない。お話の作り方が間違っているからだ。休業中の殺し屋という設定で笑わせるのは前作でしたから、今回は使えない。では、何をするか。アクションをさらにバージョンアップするしかない、わけではなかろう。お話で見せるべきなのだ。昔助けられなかった少女を助ける、というお話をどれだけ面白いものにするのか、そこに尽きる。それに彼が以前殺さなかった(殺せなかった)男の話が絡み合うのだが、堤真一演じるその男との関係があまりにつまらないから、お話がしょぼくなって、ファブルの活躍も意味をなさないことになる。敵はもっと巨大で普通ならとても手の出せない相手でなくてはならないはずだ。なのに、彼があまりに小物すぎて、映画としての世界観が構築できない。巨悪に挑んで簡単に叩きのめすというパターンにならないと、この映画は成立しないはずだ。たとえば、先週見た『Mr.ノーバディ』のような映画がお手本ではないだろうか。岡田准一ならそれくらいいくらでも可能だ。この映画のスタントも確かに素晴らしい。だが、それだけにお話がつまらなすぎてもったいない。アクションとお話をうまくミックスさせてそこに適度の笑いをミックスする。そうすることでこのシリーズはうまく機能するはずなのだ。これではもったいない。