こういう「感動の実話もの」は好きではない。感動の押し売りになる可能性が高いからだ。実話だから、嘘がつけない。しかも、モデルである実在の人物たちが生きているから、彼らが納得しないような映画は作れない。いろんな意味での制約が多すぎて身動きが取れない映画になる。実話に寄りかかり、映画としての冒険が出来ない。いろんな意味で難しい題材なのだ。
「舞台裏の英雄たち」というサブタイトルも好きじゃない。彼らの支えがあったから長野五輪でのスキージャンプ金メダルが可能だったとしても、美談になってしまったという結果から映画を見ることになるのは映画にとってハンディだろう。そんなこんなのすべてを飲み込んだうえで、それでもこの映画を作ろうとしたのだとしたら、その想いは何だったのか。どこにあるのかが知りたい。飯塚健監督はこれだけのハンディを抱えながらこの作品に挑戦した。それでも勝てるとしたその着地点はどこにあったか。
映画は微妙なところで、さまざまな矛盾も抱えて、成功したと思う。テストジャンパーたちを飛ばさないというコーチの判断は正しい。これだけの悪天候の中、彼らを犠牲にしてオリンピック続行はありえない。だけど、「僕たちは飛びたいんです、」と彼らが声を上げる。24人がみんなそう言う。ここはたぶん実話なのだろう。だから、最後のひとりである西方も受け入れる。日の丸のため死んでいく覚悟なのではない。自分たちの意地とプライドを賭けて挑戦に挑むのだ。でも、もしここでひとりでも失敗したら、すべては終わる。それだけの恐怖に彼らは打ち勝ったのか。失敗する可能性のほうがずっと高い賭けに挑むのは無謀だ。大会役員が日本のメダル獲得のために彼らを利用する。そんなことわかったうえで、これは自分たちのオリンピックなのだというヒロイズムゆえ、受け入れたのか?
この映画はこの恐怖と彼らがどう戦って結論に至ったのかは描かれない。成功したという事実から映画は発想させているからだ。主人公の西方は4年前のオリンピックで銀メダルに輝いた英雄だ。だけど、今回の選考で最終的に代表には選ばれない。それどころかテストジャンパーという裏方に回される屈辱を味わう。でも、彼は受け入れた。ジャンプが好きだから。この競技に関わっていたいから。
彼はテストジャンパーのチームに入ってそれぞれの想いを抱えるメンバーたちとの交流を通して少しずつ変わっていく。まぁ、そのへんは、よくあるパターンの展開だ。そして、映画は美談として終わる。予定調和。当然だろう。それが実話なのだから。しかし、僕の見終えた感想は「それでもいい、」という思いだった。
この映画が描いたのはオリンピックのメダルではなく、誰もが自分の人生で感じる挫折とどう向かい合うか、ということだ。そこが中心にあるということがちゃんと伝わってくるから、このメルヘン(!)を受け入れてもいいと思える。現実はこんなふうにはいかないことだらけであろう。でも、映画の中では努力は報われて欲しい。この映画は2時間の夢をちゃんと見せてくれる。だから、この「実話という嘘」を僕は心地よく受け止めることができた。