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映画・演劇のレビュー

『エッシャー通りの赤いポスト』

2021-12-30 10:35:19 | 映画

これは園子温が大病からの復帰第1作として撮り上げた久々の自主製作映画だ。2時間半の大作である。『自転車吐息』の頃を思い出させる。いや、彼の隠れた大傑作『うつせみ』を思い出す。そして、昔この劇場(第七芸術劇場)で見た『紀子の食卓』のことも思い出していた。あの映画を見た時の興奮は忘れられない。こんな凄い映画を撮る人が現れたのか、と感動した。あれからどれくらいの歳月が過ぎたことだろうか。

その後、彼はすぐ『愛のむきだし』でブレイクして、今では日本を代表する監督になった。だが、ヒットメイカーとして引っ張りだこになった今の彼ではなく、この映画は、あの頃のまだ何者でもなかった彼の、でも、知る人は知る彼の、映画を思わせる。きっとこれは初心に戻って、自由に作ろうとした映画なのだ。

それがこの映画である、はずだと思って、喜び勇んで劇場に駆け付けた。だけど、映画を見終えた今、戸惑いを隠せない。こんなはずじゃない。何がダメなのだろうか。思えばロマンポルノをリブートした『アンチ・ポルノ』くらいからおかしくなっていた。それまでもも少しずつ首をかしげる映画はあったけど、決定打はアマゾンで撮った『東京バンパイアホテル』だろう。何をしてもいい、というのはむちゃくちゃすることではない。

ハリウッドデビュー作品である『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』は見ていない。ニコラス・ケイジ主演で、日本を舞台にしたアクション映画というのが、なんだかなぁ、と思った。

でも、この映画は違うはずだ、と思った。素直な今の想いが映画には溢れている作品だと期待した。だけど、なんだかまるで緊張感のない作品で、見ながら、こんなのでいいのか、と不安になる。クライマックスの撮影シーンは確かに彼らしい。エネルギッシュで迫力のある展開ではある。だけど、それだけでは納得しない。オーディションに来たたくさんの役者の卵たちと出会い、彼らと一緒に映画を撮ることで何をしようとしたのだろうか。モタモタした前半を見ながら、イライラさせられた。何を思いこの映画は作られたのか、それがまるで見えてこない。

エキストラが主役になってもいいけど、それが何を意味するのか。それも見えない。そして、ここには以前の彼の映画にあった怖さがない。暴力的な描写がただの暴力では意味をなさない。それは理屈なんかではない。では、何なのか? よくわからない。彼女たちが暴走して走り抜けるラストシーンが感動的にはならないのが見ていてとてもつらかった。


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