なんて切ない芝居だろうか。映像として上演された作品をスクリーンで見ながら、そこに生じる距離感がなんだかとても懐かしい。この芝居を見たときの気分を想起するだけではなく、この光景が記憶の底からよみがえってくるような感じがして、何とも言えず心地よかった。
ひとりの男が、たまたまやってきたこの山の上で出会った人たちと過ごす短い時間はそれだけで夢のできごとのようだ。きっとこれは現実ではない。だけど、そんなことはどうでもいいことなのだ。夜空を見上げること。街の明かりを見下ろすこと。こんなにも寒いのに、こんな山頂でビアガーデンが開いていて、彼以外誰も客なんかいないし、なのに、よく冷えたビールを提供してくれる。そこに4人の男女がやってくる。彼らは天文学研究会のメンバーだ。遠くのどこかで今夜壊れる星があり、それを見に来たという。
この久野さんの名作『パノラマビールの夜』の再演を映像で見るのは、僕たち観客だけではない。10年前に死んだ天文学研究会の先代会長も、である。スクリーンを、僕たちは彼と見守る。彼はこの世とあの世のはざまで、ひとりの黒服の女性スタッフとともに見守っている。映像の前後で描かれるさりげないお話(簡単に言うと、天国に向かう旅立ちの風景、ね)が本編を優しく包み込む。「歩いて、」という黒服の女の言葉が胸に響く。
人は亡くなってもちゃんと思い出の中で生きている。だから、たったひとりだけど、寂しくはない、そんな気分にさせられる。(ほんとは、確かに少し寂しいけど)