12章仕立てで、村上春樹が自分のこと、小説のことを語るというスタイルの自伝的エッセイ。でも、エッセイを読むというよりもこれは「村上春樹」という小説を読んでいる気分。この35年間の作家人生を描く大河ドラマって、感じでとてもおもしろい。
それと同時に今まであまり語られることのなかった彼の考えがここにはしっかりと描かれてあり、人生論としても、生き方の指南書としても楽しめる。でも、そんなことを言うと、きっと本人は嫌がるのではないか、なんて思うけど、ほんとうにその通りなので。
特に「学校について」書かれてあるところが、いいな、と思う。自分が今学校で働いていることもあって、(僕も34年この仕事をしている!)彼がどう書くのか、ドキドキしながら読んだのだが、僕と同じことを思っていたから、なんだかうれしかった。
実を言うと僕は学校が苦手だった。人付き合いというものがダメで、友達がいなかったからだ。生徒もそうだが先生も嫌いだった。でも、仕方なく、学校に行っていた。(当時は登校拒否なんてなかったし、小心者だから、休むことも出来なかった。)だが、高校になってから何人か友だちが出来、彼らがいるから、学校に行くのが楽しくなれた。そのうち、学校が大好きになり、ずっとそこにいたくなる。現金なものだ。それで、今も、こうして学校(高校)にいる。
でも、相変わらず「先生」は苦手だった。先生も前に立つと緊張する。そんな子供だった。だから、自分は生徒と変わらないレベルの先生になって、あんなやつでも、大丈夫、と思われる「先生」になろうと思った。今も、そのまま、そんなふうに生きている。
20歳くらいの頃、初めて村上春樹を読んだ。『風の歌を聴け』である。ハードカバーの新刊で、群像新人賞を受賞したばかりの頃だ。今でも、よく憶えている。夏休みかなんかで、暇で暇で仕方ないとき、2階にある箪笥に囲まれた空き部屋のようになっている畳の間で寝転がって読んだ。天気のいい日だった。暑くはなかったので、夏ではなかったのかもしれない。誰もいない家で、2時間ほどで、最初から最後まで一気に読んだのも憶えている。不思議な気分だった。自分がここにいるのに、ここにはいないような感じ。このなんでもない小説世界に入り込んで、夢中になるのではなく、なんだかそこに距離を置きながら遠くから見つめている感じ。さみしかった。ひとりぼっちが。現実の自分と小説の僕とが、まるで別人だし、置かれている環境も状態も違うのに、なぜかシンクロした。おこがましいが、そんな気がした。
あれから、ずっと35年間、村上春樹はすべて読んでいる。今回、これを読みながら、いろんなことが明快になったような気がしたけど、実はそうではないのだろう。赤裸々に語るように見えながら、村上春樹は壮大なフィクションとしての「村上春樹」という小説をここに書いたような気がする。なんとなく。それにしても、35年かぁ。感慨ひとしお。
この本に続いて今『村上さんのところ』を読んでいるのだが、こちらはもう、あまりにバカバカしくて、どんどん読んでしまって困ってます。(そんなに暇じゃないのになぁ。)それにしても、こんなバカな質問をする人たちも大概だけど、それらに対して、こんなにも誠実に答えている村上さんも、大概です。(もちろん、僕は腹を立てているのではなく、バカバカしくてすごいぞ、と喜んでいるんですけど。まぁ、そんなこと、言わなくてもいい話なんですね)
ここに収められた473通のメールだけでも、凄いのに、17日間でなんと3万7465通ものメールが到着したってことです。それを全部村上さんは読んで、かなりの量に返事も書いている。この本はその中から厳選した473通ということなのだが、それにしても、見事なくだらなさ。(もちろん、言うまでもなく、それがいい)感心感心。
それと同時に今まであまり語られることのなかった彼の考えがここにはしっかりと描かれてあり、人生論としても、生き方の指南書としても楽しめる。でも、そんなことを言うと、きっと本人は嫌がるのではないか、なんて思うけど、ほんとうにその通りなので。
特に「学校について」書かれてあるところが、いいな、と思う。自分が今学校で働いていることもあって、(僕も34年この仕事をしている!)彼がどう書くのか、ドキドキしながら読んだのだが、僕と同じことを思っていたから、なんだかうれしかった。
実を言うと僕は学校が苦手だった。人付き合いというものがダメで、友達がいなかったからだ。生徒もそうだが先生も嫌いだった。でも、仕方なく、学校に行っていた。(当時は登校拒否なんてなかったし、小心者だから、休むことも出来なかった。)だが、高校になってから何人か友だちが出来、彼らがいるから、学校に行くのが楽しくなれた。そのうち、学校が大好きになり、ずっとそこにいたくなる。現金なものだ。それで、今も、こうして学校(高校)にいる。
でも、相変わらず「先生」は苦手だった。先生も前に立つと緊張する。そんな子供だった。だから、自分は生徒と変わらないレベルの先生になって、あんなやつでも、大丈夫、と思われる「先生」になろうと思った。今も、そのまま、そんなふうに生きている。
20歳くらいの頃、初めて村上春樹を読んだ。『風の歌を聴け』である。ハードカバーの新刊で、群像新人賞を受賞したばかりの頃だ。今でも、よく憶えている。夏休みかなんかで、暇で暇で仕方ないとき、2階にある箪笥に囲まれた空き部屋のようになっている畳の間で寝転がって読んだ。天気のいい日だった。暑くはなかったので、夏ではなかったのかもしれない。誰もいない家で、2時間ほどで、最初から最後まで一気に読んだのも憶えている。不思議な気分だった。自分がここにいるのに、ここにはいないような感じ。このなんでもない小説世界に入り込んで、夢中になるのではなく、なんだかそこに距離を置きながら遠くから見つめている感じ。さみしかった。ひとりぼっちが。現実の自分と小説の僕とが、まるで別人だし、置かれている環境も状態も違うのに、なぜかシンクロした。おこがましいが、そんな気がした。
あれから、ずっと35年間、村上春樹はすべて読んでいる。今回、これを読みながら、いろんなことが明快になったような気がしたけど、実はそうではないのだろう。赤裸々に語るように見えながら、村上春樹は壮大なフィクションとしての「村上春樹」という小説をここに書いたような気がする。なんとなく。それにしても、35年かぁ。感慨ひとしお。
この本に続いて今『村上さんのところ』を読んでいるのだが、こちらはもう、あまりにバカバカしくて、どんどん読んでしまって困ってます。(そんなに暇じゃないのになぁ。)それにしても、こんなバカな質問をする人たちも大概だけど、それらに対して、こんなにも誠実に答えている村上さんも、大概です。(もちろん、僕は腹を立てているのではなく、バカバカしくてすごいぞ、と喜んでいるんですけど。まぁ、そんなこと、言わなくてもいい話なんですね)
ここに収められた473通のメールだけでも、凄いのに、17日間でなんと3万7465通ものメールが到着したってことです。それを全部村上さんは読んで、かなりの量に返事も書いている。この本はその中から厳選した473通ということなのだが、それにしても、見事なくだらなさ。(もちろん、言うまでもなく、それがいい)感心感心。