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映画・演劇のレビュー

『藍色夏恋』

2016-01-22 22:56:26 | 映画
なんと12年ぶりになる。これは2003年に日本で公開された映画で、ロードショー時に今は亡き「3番街シネマ2」で見た。なんてさわやかな映画だろうか、と感心した。その年の僕のベストワンにした。それだけではない。きっとその後、初めて台北に行く、そのきっかけにもなった。たぶん。

それくらいにこれは特別な映画なのだ。もちろん、それまでもずっと台湾にはあこがれていた。きっかけは、ホウ・シャオシェン監督の映画だ。決定的になるのは『恋恋風塵』なのだが、最初の『坊やの人形』から、『童年往時』まで、ずっと好きで、台湾映画祭で見たワン・トンの作品『海と爆弾』も含めて、そのなんともいえない懐かしさの虜になっていた。でも、決定打はこの映画だ。それまでの「記憶の中の台湾」ではなく、「今の台湾」がそこにはあった。

『恋恋風塵』は僕の生涯ベストワンで、だから、もう見ない、つもりだ。(家にはDVDはあるけど)だが、あれは記憶に中になる台湾で、この『藍色夏恋』の台湾はそうじゃない。その差は大きい。今回改めて再見して想いを新たにする。

まるで細かいシーンは憶えていなかったけど、この暖かい気分だけは忘れてなかった。そうそう、この想いだ、と思いながら、見た。84分の短い映画なのに、たくさんの想いがここには詰まっている。自転車で走る主人公の姿ばかりが記憶に残っていたけど、(ポスターにもなっているから)夏の高校でのいくつものスケッチがすばらしい。すべてのシーンが心に沁みる最高の映画だ。目を閉じて、想像する。夢のなかで、彼女の夫は、ある男の子だ。目を開ける。すぐそこに彼がいる。親友のために、もうひとりの女の子(こちらが主人公)が、ふたりの仲を取り持つ。でも、彼は彼女が好きになる。この冒頭のシーンが印象的だ。でも、こんなにも印象的なシーンなのに、忘れていた。

グイ・ルンメイは、男の子は好きになれない、という。私は女の子が好きかも、と。でも、それは今だけで、大人になったなら、きっと変わっていく。今、この瞬間の想い、それと真摯に向き合う子供たちの姿がすばらしい。

少女(グイ・ルンメイ)は少年(チェン・ポーリン)と出会う。彼は親友が好きになった男の子だ。少女は彼女に頼まれて、ふたりの間に立つことになる。

今の自分の気持ちがよくわからない女の子。彼女のことが好きになる男の子。彼が好きなのに、素直になれない女の子。これはそんな3人の物語。

昨年、イー・ツーイェン監督待望の2作目である『コードネームは孫中山』(2014)を見た(12年振りの新作なのだ!)けど、変わらないな、と思った。『孫中山』と共有するシーンがたくさんあることにも驚いた。『孫中山』の中に、主人公の男の子がもうひとりの男の子を追いかける長いシーンがあったけど、あれってこの映画のふたりのシーンとあまりによく似ていて、驚いた。ふざけて「グランドでマスをかくかどうか、」なんていうバカな賭けをするシーンは、学校の倉庫から孫中山の銅像を盗み出すというバカな行為と通じることも発見した。(どちらもクラス費な話題になるし)そんなこんなで、2作品はいろんなところで符合する。

もちろん、そんなことではなく、12年振りに見たこの映画の清々しさ。それがまず、うれしい。手を握る。キスをする。そんなことがこんなにも大切な行為として、僕たちのなかにある。高校生にしては初々しすぎる、かもしれない。でも、誰と比較してそんなことを言うんだ? これは誰のものでもない。「僕たちのお話」なのだ。そんなふうに鼻白む。それくらいにこれは大切な映画なのだ。

ラストシーンで、「3年後、5年後でもいい。もし、男の子が好きになれたら、僕に知らせて欲しい、」という。泣きそうになった。(もしかしたら、1年後、とも言っていたような)自転車に乗るふたりが別れていく。

その後、この夏の後、彼らの新しいドラマが始まる。それにしても、もうあれから13年が過ぎたのだ。18歳の彼らは今はもう30歳を過ぎている。どんな大人になったのだろうか。この10数年、台湾に何度となく、行き、僕はそこに彼らを探している。


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