62年の木下恵介監督作品。先行する傑作『喜びも悲しみも幾年月』の姉妹編のような作品だけれど、これが小品ながら見逃せない傑作だった。地味なモノクロ映画だが、これはそれが正解だ。カラーではこの素晴らしさは伝わらない。昭和21年からスタートして、公開当時の現代である1962年(昭和37年)の春までのお話である。主人公の夫婦は、もちろん高峰秀子と佐田啓二だ。河野道工の歌集『道路工夫の歌』を下敷きにして全編に字幕で彼の歌を配して、貧しい夫婦が戦後をいかに生き抜いてきたのかを、家族の日々の記録で見せていく。美しい風景も胸に沁みる。
昔、木下恵介の映画が好きだった。中学3年生の頃にお話だ。映画好きになった頃、最初に見たのが『喜びも悲しみも幾年月』だった。感動した。幼い心に強烈な印象を残した。それから見れるだけ見た。『二十四の瞳』や『野菊の如き君なりき』という有名な名作は見ることができたけど、なかなか見られない映画がたくさんあって悔しい思いもした。この映画はその頃ずっと見たかったのに見ることができなかった1本である。今頃になってようやくその願いが叶った。うれしい。ちなみに、あのころいちばん好きだった木下作品は『お嬢さん乾杯!』だ。
映画は丁寧に彼らの1年ずつを追いかけていく。小さなエピソードが羅列されていくのだが、その積み重ねから、誰もがそれぞれの形で生きぬいたであろう戦後の日々のひとつの形が綴られていく。この夫婦の物語は、みんながそれぞれ思い当たることであろう。ささやかなエピソードのひとつひとつが胸に沁みていく。
映画の冒頭は復員してくるシーンだ。夫婦が再会し抱き合うという映画のラストシーンのような描写から始まる。だが、それがスタートだ。山梨の田舎で、道路工夫をして暮らす家族のお話。幼い息子と老いた両親。そして妻の5人暮らし。息子が京都帝大を卒業するまでの夫婦の苦難の歴史が描かれる。雨の日も風の日も黙々と道路の整備を続けた。少ない給料で、家族を養い、仕事後の焼酎を楽しみにして、毎日を乗り越えた。いろんなことがあったけど、子供の成長を楽しみにして、生き抜いた。大好きだった幼なじみ(その4つ年上の女性を久我美子が演じる)への想いも描かれる。
高校入学式のシーンが感動的だ。着ていく服がないから、式典には参加せず、学校の外で見守る夫婦の姿が描かれる。グランドの柵の外から見ていると、そこに息子が走ってきて「ふたりとも、僕の入学式に参加してよ!」と手を引く。両親を恥ずかしがることなく、一緒にグランドを横切り体育館へと走るそのシーンが胸に痛い。その後の甲府駅前のデパートでの食事のシーンもいい。このエピソードは映画のラストである大学の卒業式の場面と呼応する。一人息子をなんとかして大学にやりたい、という親心が胸を打つ。自分たちは学がないから、苦労した。だから、子供だけはなんとかしてあげたい、と思う。成績のいい自慢の息子を無理してでも、高校に行かせてあげ、さらには本人が強く願うのなら、自分たちのすべてを犠牲にしてでも彼の願いをかなえてあげたい、と思う。もちろん、今の時代には通用しないお話である。でも、あの頃ならこれは誰もが願ったことだろう。そして、ここに流れる人の想いは変わらない。
この60年も前の映画が、どうしてこんなにも心に沁みてくるのだろうか。時代を経ても変わらないものがそこにはある。いや、それは時代を経たからよけいに輝きを増すものだ。これはそんな映画である。