子供たちのために書かれた本を大人である僕も読む。子供だましなんて言う言葉があるけど、児童書を書く人にはそんなことをする人はいない。恋愛小説の騎手である彼女が書く児童書はいつも明確な目的意識がある。だからある意味少し内容は重くて硬い。ストレート過ぎてきつい。原爆を扱った『ある晴れた夏の朝』なんて特にそうだった。だけど、この重さが胸に染みる。これは誰もがきちんと向き合わなくてはならないことなのだ。
今回は差別について。黒人と日本人とのハーフに生まれた女の子のお話。黒人という言い方がもう今では問題で、ハーフという言い方もそう。ダブルと呼ぶほうがいいようだ。無意識に使い慣れた言い方をするのは傲慢なのか。差別用語なんていうものじゃないはずのものまで、そういうふうに一括りにされている。だが、それは差別をする側の理屈で差別を受ける側の立場は考慮されていないのかもしれない。
笑美理(エミリ)は日本で生まれた日本人。だけど肌が黒いというだけで差別を受け続けてきた。生まれた時から父親はいない。母親も彼女を置いていなくなった。優しい叔母さんに引き取られ、彼女の庇護のもとで育った。壮絶な虐め、ブライドをズタズタにされ、苦しまされてきた。そんな彼女が30代になった今、子供のころから現在までの時間を振り返る。そこにあった数々の差別の歴史が静かに語られていく。
今彼女はマサチューセッツ州で同性の友人と暮らしている。翻訳の仕事をしながらボランティアでAMPという児童福祉支援団体が運営している電話サービスの仕事もしている。世界中にいるたくさんの困っている子供たちのためにできることをしていたい、と思う。
淡々と綴られるこれまでの日々。この事実を読み手はしっかりと受け止めていくことになる。短い詩集のような(エミリー・ディキンスンの詩もたくさん挿入される)文章の余白には抱えきれないほどの傷みが垣間見える。