2時間に及ぶ超大作である。往年の金蘭会や追手門に迫るような作品世界をオリジナル戯曲で提示するって、凄くないか。20人に及ばんとするキャストたちが、応典院のタッパを生かした舞台空間の中で、立体的なドラマを紡ぎ上げていく。無駄のない悠々たるタッチで壮大なドラマが綴られていく。
この世界にはあまりに覚えることがたくさんありすぎて、どうでもいいことを記憶に止めておく力を持たない女(数式のことにしか興味がない。人の名前も覚えられないし、)が、自分勝手な楽しみのため国民を犠牲にして、戦争というゲームに興じる男(彼は父親である王が死んだあと、自分に責任が懸ってくると逃げてしまう)と出会う。『美女と野獣』ではなく、『さんすうとけものたち』というタイトルが付けられたこの芝居は、オリジナルの『美女と野獣』ようなラブストーリーにはならない。サイコと野獣は、この手のドラマの定番であるおきまりの恋には落ちない。2人はシンクロすることなく、それぞれが閉じていくからだ。この設定を崩すことなく、2時間をひっぱっていくというのは尋常ではない。
いささか観念的になり過ぎて、ドラマとしてはこなれていないから、芝居自身のテンポはあまりよくないが、これだけの大作を作り上げたということだけでも、高く評価したい。そのへんの小劇場演劇の劇団でも、ここまでのものはなかなか作れないはずだ。独自の世界観を持つ、ということは簡単なことではない。
この世界にはあまりに覚えることがたくさんありすぎて、どうでもいいことを記憶に止めておく力を持たない女(数式のことにしか興味がない。人の名前も覚えられないし、)が、自分勝手な楽しみのため国民を犠牲にして、戦争というゲームに興じる男(彼は父親である王が死んだあと、自分に責任が懸ってくると逃げてしまう)と出会う。『美女と野獣』ではなく、『さんすうとけものたち』というタイトルが付けられたこの芝居は、オリジナルの『美女と野獣』ようなラブストーリーにはならない。サイコと野獣は、この手のドラマの定番であるおきまりの恋には落ちない。2人はシンクロすることなく、それぞれが閉じていくからだ。この設定を崩すことなく、2時間をひっぱっていくというのは尋常ではない。
いささか観念的になり過ぎて、ドラマとしてはこなれていないから、芝居自身のテンポはあまりよくないが、これだけの大作を作り上げたということだけでも、高く評価したい。そのへんの小劇場演劇の劇団でも、ここまでのものはなかなか作れないはずだ。独自の世界観を持つ、ということは簡単なことではない。