いつものパターンの、再演である。昨年大ヒットしたこの作品をいつものようにブラッシュアップさせて再度お披露目する。今回はゆったりとした状態で観劇できでよかった。(劇団にとっては不本意だろうが)昨年の初演時は満杯の観客で、立ち見で見た。大変だった。だけど、客席も熱気が溢れ、いい芝居を観たという満足感があった。
さて、今回は2度目なので、冷静に見れる。実話の劇化というものはいろんな意味で難しい。フィクションではなく、という括りが作品の自由度を奪う。舞台は禁欲的で、エピソードを淡々と綴っていく、というスタイルを選択したのは間違いではない。短いいくつものエピソードを通して、鶴彬という男の生きざまを、生きた軌跡を追う、というパターンだ。
第三者によるナレーションを多用して状況をわかりやすく説明していくというのも、間違ってはいないだろう。そこで主人公の心情を語らないもの正しい。だが、芝居はなんだかもどかしい。いろんな意味で窮屈な作品になってしまったことは否めない。その窮屈さが彼の生きた時代であり、状況ともシンクロするわけだが、そこで彼がどう戦い死んでいったのかがフィクションとしての劇の高みにまで届かないことが残念だ。そうなのだ。
この芝居は抑えたタッチを貫くがために、劇としての高揚感が足りない。ドラマとしてのメリハリを欠き、そのまじめさ故お勉強としての評伝以上のものを提示しきれない。鶴彬を描くのではなく、彼を通して何を描くのか、という次元での作業がなされていない気がする。とても丁寧に作られてあり、主人公を演じた寺島さんは抑えた演技で素晴らしい。それだけに、あと一歩その先を提示できたなら、これはもっとすごいものになったのではないか、と思うのだ。観客はいつも欲張りだ。
フィクションなら必ず入れるラブストーリーとしての側面も排した。鶴子との関係も全く描かれない。実話では彼らに恋愛感情はなかったのかもしれないが、劇としてはそれでは弱い。ナレーションを彼女が担当したことの意味も含めてわからないまま終わってしまうのも惜しまれる。事実以外のフィクションも交えて面白おかしくドラマ化して欲しいわけではない。ただ、きれいごとだけではない、彼が何を望んで、何に苦しんだのかを、もっと個人的なことも含めて描いて欲しかったのだ。そこにフィクションが必要ならば加味してもいいのではないか、と僕は思う。そうすればもっとドラマとしての奥行きができたはずだ。事実を描くのではなく真実を描くためには、そこに作り手の意志も必要だ。