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映画・演劇のレビュー

桃園会『ふっと溶暗』

2017-02-17 00:14:52 | 演劇
深津さんの死去から2年半が過ぎた。深津演劇祭が昨年9月から始まり、来年の3月まで続く中、桃園会の登場である。この演劇祭で桃園会は2作品を上演する。今回の本作と、来年3月の演劇祭掉尾を飾る『深海魚』だ。



ただ、この作品が深津さんの戯曲ではないから厳密に言うと本演劇祭の参加作品としては番外編のような立ち位置になる。でも、いや、だからこそ、この作品がこの演劇祭の作品にふさわしい。これは深津さんの母体である桃園会だからこそ扱える作品だからだ。



劇団員である作、演出の橋本健司が、彼の見た深津篤史をここに描く。キャストは彼を含む劇団員の3名だけ。彼らが、深津のいなくなった今の自分たちを演じる。だが、これはドキュメンタリーではない。彼らの心情を芝居として立ち上げる。不在の深津にこだわるのではない。そこにいる役者としての自分たちにこだわるのだ。追悼公演ではなく、あくまでも今の自分と劇団としての桃園会にこだわる。大切なことはそこに尽きる。感傷的に深津を描いても誰も喜ばない。というか、深津さん本人がまず一番嫌だろう。



そんなこと、わかりきったことだ。橋本はまず、自分の心情告白から始める。素のままの自分が客席の後ろから出てきて、桃園会に入った頃の話を始める。劇団員としてこのアイ・ホールの客席で誘導の仕事をした時の話だ。そして舞台に上がる。芝居は始める。



いくつものエピソードの背後には深津がいる。敢えてそのことは言わないけど、彼が見ている。その視線を感じながら、短いエピソードが笑いを誘いながら、描かれていく。橋本は2人の先輩女優(はたもとようこ、森川万里)を使いながら、彼女たちに様々なことを演じさせる。最初は『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラだ。笑いながら、だんだん寂しくなる。



ラストで深津の扮装をした橋本健司の姿がまるで深津本人のように見える場面は圧巻だ。そのあと、同じ姿をしたはたもとようこ、森川万里が登場して、笑わせる。そういうバランス感覚をちゃんと保ちながら最後まで見せるのがいい。



桃園会が深津を描くという芝居を見せるためには、こういう覚悟が必要なのだ。感傷的にはなることなく、突き放すなんてありえないし、心の中にぽっかりと穴があいたことを、その穴をそのまま芝居にする。それぞれのエピソードの終わりには「ふっと、溶暗」という言葉が、唐突に入る。そこで終わるわけではない場合も、そのサインで暗転する。名残惜しい。長い暗転の後、また次のお話が始まる。短編連作ではなく、サブタイトルにある「断象・ふかつしげふみ」の文字通り「断象」としてそれぞれのエピソードがそこにある。これは今の桃園会だけに出来る、できる限りの芝居だった。だから愛おしい。
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