習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

テノヒラサイズ『泥の子と狭い家の物語』

2012-09-12 22:38:02 | 演劇
 画期的な傑作である。これだけドキドキさせられる芝居は近年なかった。しかも、それをテノヒラにやられるとは。その意外性にも衝撃を受ける。思いもしないところからパンチが飛んできて痛いよりも、驚きのほうが大きい。やがて、痛みが後からやってくる。そんな感じだ。予想外、だった。いつものスタイリッシュで楽しいパフォーマンスを、心地よく見せてくれる、はずだったのに。

 まるで先が読めない。軽いコメディーなのだろう、とたかをくくっていたが、実はそうじゃなかった。一応これはホームドラマなのだが、気を抜いて見ていると痛い目にあう。わけのわからない展開が、怒涛のように押し寄せてくる。でも、それは徐々に染み入るようにやってくるから、最初はわからないのだ。すごいことが起きていることに。不気味な色彩が、泥人形とともにこの狭い家を染め上げる。そう、最初はこのあきれるほど狭い家が、始まりなのだ。

 でも、そのこと自体は、別に不気味なことではない。ただの極端だ。娘が反抗的なことも、ありえることで、どこにでもある普通の話でしかない。担任教師が家庭訪問にくる。家のあまりの狭さに驚く。家族が紹介される。芝居としては普通の始まりだ。だが、すぐに、変化は訪れる。母親の心の病をなんとかするため奮闘する家族の話なのか、と思う。それにしても、どんどんいびつな方向にスライドしていく。そして、あの占い師の登場である。彼女に心を許した母親が、少しずつ異常な行為に走る。占い師にそそのかされている。いや、2人だけではない。ここにいる人も、やってくる人たちもみんな少しずつ壊れていく。

 冷静さをキープしながらも、どこかが異常。でも、他人から「それはへんだ」と言われるとすぐに納得し、正常に戻る。でも、少しずつこのゆがみに自分たちが乗っかっていく。気づくと受け入れている。だいたい、冒頭の担任の訪問シーンから、変だった。でもあのときは、このくらいの変さは、コミカルな芝居の定石だと思っていた。だが、それはとんでもないことなのだ。ゆがみのエスカレート、それが冷静さにより、居心地の悪さとして認識される。そのときにはもう遅い。変にテンションをあげられると、これはそういうタイプの芝居なのだ、で済まされるのだが、これはそうではない。収まりが悪い。もちろん演出のオカモトさんはそういう効果をねらっている。僕たちはまんまと彼の術中にはまったのだ。

 占い師のすることのひとつひとつが、どんどん世界をおかしくしていく。彼女は何を求めてこの家族を壊そうとしているのか。わからない。母親はただ彼女にマインドコントロールされているだけなのだが、そのことで、彼女の心は救われている。宗教とか、神秘の力とか、そんなものは信じないけど、この状況を受け入れざるを得ない。恐怖はどんどん心と体に浸透していく。

 これはホラーである。そう理解するとわかりやすい。だが、ここに描かれる恐怖とは何なのか。よくはわからない。だから、ますます怖くなる。

 子育ては大変な行為で、子供はかわいいけど悪魔だ。一生懸命働いて、育てたのに、まるで自分たちの思うようにはいかない。すべてを投げ出してしまいたくなる。でも、そうはいかないのが、現実だ。このドラマの背景はそういう問題なのだろうが、簡単にそこに収斂しない。居心地の悪さ。それがこの作品の凄さであろう。終盤占い師の存在がただの悪者になるのが、惜しい。善悪の彼岸で、どこにでもある家族が揺れていくさまをホラーのスタイルで描く。というか、僕らの現実がホラーなのだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北京蝶々『都道府県パズル』 | トップ | 『踊る大捜査線 THE FINAL 新... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。