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映画・演劇のレビュー

iaku『フタマツヅキ』

2021-11-15 09:37:55 | 演劇

ある家庭の話である。二間しかない狭い家で暮らす3人家族。夫はほとんど家に寄りつかない。高校三年生の息子は、父親が大嫌いだ。働かなくてフラフラしている。漫談家だったが、40になり落語家に転向した。だが、芽が出ないまま、脱落して、知人の伝手で細々と管理人の仕事をしている。落語家なのに、ネタを覚えられない。彼にできる演目は「初天神」だけ。でも、今ではそれもおぼつかない。

自分はもう現役をリタイアしたとうそぶく。まだ何も成し遂げてはいない。才能がないと思う。妻に唆されて、落語を始めたが、やりたくはなかった。漫談家としてやつていきたかったのだが、前振りは面白いけど、本題のお話がつまらなくて、続かない。夢を追いかけ、それを支える妻との暮らし。貧しいけど、幸せだった日々。でも還暦を迎え、自分の人生をあきらめ惰性で生きている現実。それなのに、妻は文句も言わずに支えてくれる。彼女の優しさが重い。その重圧に耐えられないから家に寄りつけない。そんなダメな父親が、腹立たしい。

この芝居の提示するこういう基本設定はあまりに重苦しく、しかも、作品自体もその重さをそのまま引き摺り、沈鬱なまま2時間が綴られていく。なのに、見ながら、苦痛じゃない。それどころか、引き込まれていく。こんなにもどうしようもない不幸なのに、そこで生きる彼らから目が離せない。(余談だが、今読んでいた町田そのこの『うつくしが丘の不幸の家』と並行してこの芝居を見たのだが、このふたつの作品があまりによく似たテイストでそのたまたまの偶然に驚く。)

20代のふたりを長橋遼也と橋爪未萠里が演じる。ふたりの出会いから夫婦になり出産へと至る姿が現在のシーンに随時挟み込まれていく。主人公のふたりをモロ師岡、清水直子が演じる。あえてふたり一役にした。この二組の姿が並行して描かれていくのだが、過去が単なる回想シーンではなく、同時進行に見えるのがいい。ふたつの物語がちゃんと未来に向かって進んでいく。こんな救いようもないお話であるにもかかわらず。

彼らの息子を演じた杉田雷麟のまっすぐな芝居と、彼がぶつかっていくモロ師岡の父親との対決が素晴らしい。息子の想いを受け止めて、ふたりが「初天神」演じる姿をクライマックスにして、2時間の家庭劇は幕を閉じる。未来に対する不安を抱えながらも誠実に生きようとする彼ら家族の姿は深く心に沁みる。いい芝居を見た。

作、演出の横山拓也が、この作品と正攻法で真正面から向き合ったからここにたどり着くことができたのだろう。微妙なズレや、すれ違いが繊細に綴られていく。セットは回り舞台で、動かすときにシーンに応じて微妙に見える角度を変える。外枠として傾いた額縁を配して、その中で2間の部屋のセットを回しながら話は綴られていくのだが、この舞台美術(もちろん柴田隆弘)は見事に彼らの心情をフォローしていて、そんな相乗効果も見事だ。


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