まさか、あの石井裕也監督がSF映画を作るだなんて。これは思いもしない作品である。だけど、これくらい彼らしい映画もない。
亡くした母を思う。仮想空間上に任意の“人間”をつくるという最新技術「VF(バーチャル・フィギュア)」を通して死んでしまった母親を再現し、隠していた母の本心に迫る。
SFと書いたけど、必ずしもそういうわけではない。それどころが、ほんの数年後にはこれくらいのことはなんでもない現実になったとしても不思議ではない世界が淡々と描かれていく。でもこんな未来はいらない。これは悪夢の近未来ではなく、今ある現実のほんの先を描く。彼(池松壮亮)は亡くしてしまった母(田中裕子)のVFと向き合ってそこから何を知ることになるのか。
まさかのラストまで一気に見る。2025年から始まって、事故で1年眠っている間に世界が変わってしまった。いや、1年だけど。工場は完全に機械に管理されて人間はいらない。たった1年後、なのに浦島太郎状態になっている。
2025年の未来にも驚くが、その1年後の世界を描くこの映画の描く近未来に衝撃を受けた。まるでついていけない世界がこの映画には描かれる。
リアル・アバターという下層民。カメラを装着して依頼人の指示通り行動する(本人になりかわり代理でさまざまなことをする)仕事。デリバリーの進化系。自分の体を他人に貸す。格差社会は際限なく広がる。ほんの数年後がこんな世界だなんて、考えたくもないけど、あり得るかもしれないと思うと、恐ろしい。自由死というシステムにより自殺が合法になった社会というのも怖い。政府は高齢化対策として自殺補助をする。母の友人だった三好(三吉彩花)さんの話も胸に痛い。貧困はどこまでも加速する。
お話のきっかけは高校時代に遡る。というか、そこから始まった。純粋で優しい息子がなぜ教師に暴力を振るったのか。大小さまざまな個人の、または社会の問題が彼のドラマの背景を彩る。ラストの母が彼に言いたかったことがあまりにシンプルで胸を打つ。こんな簡単なことが大事なのだ、と石井は語る。