上下2巻1000ページを超える長編であるにもかかわらず、従来の村上春樹作品の大作と較べるとそのスケールはいささか小さい。大作仕様ではなく、どちらかというと小品のスタイルなのだ。そこも作者の意図したところなのだろう。イデアとかメタファーなんていうふざけたネーミングもそうだ。そんなささいな仕掛けを施して、突然理由もなく妻に去られた男の傷心が描かれる。
一人旅に出て心の傷を癒し、小田原の山荘でひっそりと暮らす。そんな世捨て人のような生活を続ける彼のもとにひとりの男が現れる。彼の肖像画を描くことから始まる不思議なドラマが綴られる。裏山にある穴を掘り返し、失われた妹の面影を宿す少女と出会い、彼女の失踪、捜索を通して彼は地面の下の世界に誘われる。
なんだ、嘘くさいお話で、ありえない話。一歩間違えば狂人のたわごとでしかないようなもの。こんなの小説としての体をなさない。個人的な妄想を綴るだけで、誰一人これに興味を持つ者はいない、と言われても納得する。それくらいに社会性もなく、テーマもない作品なのだ。しかし、このしつこい話と付き合っていくうちに、僕たちは「こんなこともあるかもしれない、」なんていうふうに思うことになる。この世界はなんでもありだ。ありえないことなんかない。それは小説の中だから、というのではなく、いやむしろ現実の中だからこそ言えること、と。
妻が産んだ娘とともに穏やかに暮らすラストが胸に沁みる。彼女は彼の子供ではない。しかし、他の誰の子供でもない。今こうして手をつないでいる彼とその娘の姿は誰の目にもふつうの親子に見える。戸籍上も実の親子である。しかし、そんなことに何の意味があろうか。血のつながりは目には見えない。結ばれた手と手のつなぐ絆は目に見える。それがすべてなのである。