圧倒的なダンスシーンで全編を彩る大塚雅史さんによる最新作。零戦をテーマにして描く青春群像劇だ。こういう題材は扱い方が難しい。特攻隊を描く青春映画は数あれど、それらの作品は、どうしても「戦争をどう捉えるか」というデリケートな部分で、紋切り方の切り口になりつまらなくなるのだが、この作品は敢えてそこを無視している。それはそれで正しいあり方だろう。
神風特攻隊を描く。だが、戦争の不条理には触れない。ただ、「飛びたい」というあこがれを描く。でも、そこで死と向き合うことは避けられない。そこに深入りしないという選択は逃げではないか、とも思える。しかも、最後は、それでも生きろ! というメッセージとなるのだが、なんか、そんな安直なものでは、話にのめり込めない。だが、そんなことはわかった上で、それだけで、芝居を作る。
前半は、ただずっとダンスシーンだけが延々と続く。凄いエネルギーだ、と驚くばかりだ。ドッグファイトを人間の肢体だけで表現する。激しい空中戦を迫力あるダンスと、そのスピード感で見せる。あまり話はない。新人たちが教官のもとで、訓練を積み一人前のパイロットになる、というドラマは大塚さんの独壇場だ。数あるスポーツ物でやり尽くしたことだろう。
だが、後半になると、ひとりひとりが死んでいく部分で、話の展開が、細切れになり、回想シーンの挿入も含めて、もたもたしてくる。実はここからが、お話の本題で、死んでしまう友たちと、死なない主人公との対比から、ドラマの核心に迫るはずなのに、大事なこの部分が、描き切れない。それはこれを群像劇にしたため主人公のドラマすら、全体の中に埋もれさせてしまうからなのか。でも、それではこの芝居の意味がなくなる。しかも、テーマに迫り始めると、そこで断ち切ったように話が終わる。この芝居の性質上これ以上作家の意志を前面に押し出すと、この企画の意図から離れるという判断からなのか。よくわからない。 本当の芝居が始まる直前で、お話が断ち切られたような違和感の残るラストだ。
不時着した零戦と、そこにいるはずだった主人公が、本来なら出会ったはずの少年との間に生まれるドラマこそが、この作品のテーマを雄弁に語る。引き継がれていくものは何なのか。そのタイムループに何を込めたか。この芝居は、戦時中の話ではなく、もっと普遍的な時間を扱うはずなのだ。運命を受け入れたはずの男が運命に抗うような人生に何を見るか。「それでも生きろ!」というメッセージが熱いメッセージとして、観客に届くようなドラマ作りを前面に出して欲しかった。
神風特攻隊を描く。だが、戦争の不条理には触れない。ただ、「飛びたい」というあこがれを描く。でも、そこで死と向き合うことは避けられない。そこに深入りしないという選択は逃げではないか、とも思える。しかも、最後は、それでも生きろ! というメッセージとなるのだが、なんか、そんな安直なものでは、話にのめり込めない。だが、そんなことはわかった上で、それだけで、芝居を作る。
前半は、ただずっとダンスシーンだけが延々と続く。凄いエネルギーだ、と驚くばかりだ。ドッグファイトを人間の肢体だけで表現する。激しい空中戦を迫力あるダンスと、そのスピード感で見せる。あまり話はない。新人たちが教官のもとで、訓練を積み一人前のパイロットになる、というドラマは大塚さんの独壇場だ。数あるスポーツ物でやり尽くしたことだろう。
だが、後半になると、ひとりひとりが死んでいく部分で、話の展開が、細切れになり、回想シーンの挿入も含めて、もたもたしてくる。実はここからが、お話の本題で、死んでしまう友たちと、死なない主人公との対比から、ドラマの核心に迫るはずなのに、大事なこの部分が、描き切れない。それはこれを群像劇にしたため主人公のドラマすら、全体の中に埋もれさせてしまうからなのか。でも、それではこの芝居の意味がなくなる。しかも、テーマに迫り始めると、そこで断ち切ったように話が終わる。この芝居の性質上これ以上作家の意志を前面に押し出すと、この企画の意図から離れるという判断からなのか。よくわからない。 本当の芝居が始まる直前で、お話が断ち切られたような違和感の残るラストだ。
不時着した零戦と、そこにいるはずだった主人公が、本来なら出会ったはずの少年との間に生まれるドラマこそが、この作品のテーマを雄弁に語る。引き継がれていくものは何なのか。そのタイムループに何を込めたか。この芝居は、戦時中の話ではなく、もっと普遍的な時間を扱うはずなのだ。運命を受け入れたはずの男が運命に抗うような人生に何を見るか。「それでも生きろ!」というメッセージが熱いメッセージとして、観客に届くようなドラマ作りを前面に出して欲しかった。