「ありがと」という言葉が何度となく繰り返される。広島弁の優しい響きが胸の奥にしっかりと落ちていく。心の中に染み渡っていくのだ。
広島に原爆が落とされて、13年。まだまだ戦争の傷痕を引き摺っていた時代。それでも、毎日を精一杯生きていた人たちの涙が出るほど慎ましくひたむきな姿が美しい。実はずっと泣いていた。何を訴えかけるでもなく、ただ平穏に、その日その日を生きている人たちのその姿が、どうしてこんなにも心を強く揺さ振るのだろうか。
この静か過ぎるほどに静かで控えめな映画は、たった26歳で、何ひとつ人並みの幸せを受けることなく、ひっそりと死んでいった女性を中心にして、彼女の周囲で同じように生きて、死んでいった人たちの日々を淡々と描いてみせてくれる。
広島に原爆を落とした人たちは、また一人戦後13年も経っても、まだ自分たちの力で人を殺せたと喜んでいるのでしょうか、という皆美(麻生久美子)の言葉が胸に痛い。
今までも原爆をテーマにした映画は無数にあった。その1本1本があの日を忘れてはならないという熱い想いに貫かれた作品だったはずだ。そんな作品群の末席に今この素晴らしい映画が続いていく。これは今村昌平監督の『黒い雨』と並ぶ作品だと思う。戦争を直接体験していない世代だからこそ描ける心優しい傑作だ。
佐々部清は『チルソクの夏』から『カーテンコール』まで様々な作品を誠実に作り続けてきた。昨年『出口のない海』で初めて戦争を描き、今回再び太平洋戦争を背景にした映画に取り組む。今回もまた、派手な殺戮シーンは一切ない映画だが、戦争の悲惨をここまで深く僕たちの胸に突きつけてくる。彼にできるアプローチで、確かなものを伝えようとしてくれる。
とても丁寧に当時の風景が再現される。川べりのスラム街を舞台にしてバラックで暮らす人たちの生活が丹精に描かれていく。銭湯のシーンなんてその最たるもので、みんなケロイドだらけの体をしていて、それを当然気にも留めず体を流し、湯船につかる。そんな当たり前の姿に僕らは驚いてしまう。ことさら何かを強調するでなく、ありのままを静かに見せていく。
そんな中で主人公の皆美の気持ちがとても丁寧に描かれてる。生き残ってしまったことの対する負い目。それでも生きていこうとする健気さ。恋人の打越の抱きしめられて、「生きていてくれてありがとう」と言われた時の彼女の表情が心に焼き付いている。今もこれを書きながらまた涙がポロポロ零れている。
映画は2部構成になっており、前半は昭和33年、広島を舞台に麻生久美子を主人公にしている。後半は東京から再び広島を舞台にさらに50年ほどが経過した平成19年夏、田中麗奈を主人公にする。
後半は幾分軽やかな見せ方をしており、あの日から60年以上経った今、もう戦争なんてなかったかのように見える現代、それでも延々と続いている傷痕を追っていくことになる。原爆症の後遺症の連鎖だけでなく、忘れてはならないことがここには描かれてある。映画は田中麗奈の七波を通してそれをしっかり見せてくれる。
七波が父親を尾行して、広島に行くという話を通して目撃していくあの日の記憶を描く場面がとてもいい。生まれる以前の記憶の中に立ち、それを確かに見る。この映画で見た事は僕たちの記憶になるのだ。忘れてはならない。
昭和20年8月6日。広島に原爆が落とされた。
広島に原爆が落とされて、13年。まだまだ戦争の傷痕を引き摺っていた時代。それでも、毎日を精一杯生きていた人たちの涙が出るほど慎ましくひたむきな姿が美しい。実はずっと泣いていた。何を訴えかけるでもなく、ただ平穏に、その日その日を生きている人たちのその姿が、どうしてこんなにも心を強く揺さ振るのだろうか。
この静か過ぎるほどに静かで控えめな映画は、たった26歳で、何ひとつ人並みの幸せを受けることなく、ひっそりと死んでいった女性を中心にして、彼女の周囲で同じように生きて、死んでいった人たちの日々を淡々と描いてみせてくれる。
広島に原爆を落とした人たちは、また一人戦後13年も経っても、まだ自分たちの力で人を殺せたと喜んでいるのでしょうか、という皆美(麻生久美子)の言葉が胸に痛い。
今までも原爆をテーマにした映画は無数にあった。その1本1本があの日を忘れてはならないという熱い想いに貫かれた作品だったはずだ。そんな作品群の末席に今この素晴らしい映画が続いていく。これは今村昌平監督の『黒い雨』と並ぶ作品だと思う。戦争を直接体験していない世代だからこそ描ける心優しい傑作だ。
佐々部清は『チルソクの夏』から『カーテンコール』まで様々な作品を誠実に作り続けてきた。昨年『出口のない海』で初めて戦争を描き、今回再び太平洋戦争を背景にした映画に取り組む。今回もまた、派手な殺戮シーンは一切ない映画だが、戦争の悲惨をここまで深く僕たちの胸に突きつけてくる。彼にできるアプローチで、確かなものを伝えようとしてくれる。
とても丁寧に当時の風景が再現される。川べりのスラム街を舞台にしてバラックで暮らす人たちの生活が丹精に描かれていく。銭湯のシーンなんてその最たるもので、みんなケロイドだらけの体をしていて、それを当然気にも留めず体を流し、湯船につかる。そんな当たり前の姿に僕らは驚いてしまう。ことさら何かを強調するでなく、ありのままを静かに見せていく。
そんな中で主人公の皆美の気持ちがとても丁寧に描かれてる。生き残ってしまったことの対する負い目。それでも生きていこうとする健気さ。恋人の打越の抱きしめられて、「生きていてくれてありがとう」と言われた時の彼女の表情が心に焼き付いている。今もこれを書きながらまた涙がポロポロ零れている。
映画は2部構成になっており、前半は昭和33年、広島を舞台に麻生久美子を主人公にしている。後半は東京から再び広島を舞台にさらに50年ほどが経過した平成19年夏、田中麗奈を主人公にする。
後半は幾分軽やかな見せ方をしており、あの日から60年以上経った今、もう戦争なんてなかったかのように見える現代、それでも延々と続いている傷痕を追っていくことになる。原爆症の後遺症の連鎖だけでなく、忘れてはならないことがここには描かれてある。映画は田中麗奈の七波を通してそれをしっかり見せてくれる。
七波が父親を尾行して、広島に行くという話を通して目撃していくあの日の記憶を描く場面がとてもいい。生まれる以前の記憶の中に立ち、それを確かに見る。この映画で見た事は僕たちの記憶になるのだ。忘れてはならない。
昭和20年8月6日。広島に原爆が落とされた。
地元ではまだ上映していないので心待ちにしている映画です。