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映画・演劇のレビュー

evkk『黒い湖のほとりで』

2015-11-26 20:47:06 | 演劇
外輪さんがまたまた大胆な企画を打ち出してくれた。今回は名村造船所の跡地、ドラフティングルームを使い、夕暮れから日没の時間、自然光を取り込んで、見せる(でも当日は天気が悪くて、最初から暗かった!)2時間越えの大作だが、こんなにも、動きが激しく、感情が前面に出るにもかかわらず、とても静か。

このだだっ広い空間を縦横に生かしきった。こんな広い舞台空間を持つ芝居はなかなかあるまい。贅沢だ。しかし、セリフが聞き取りにくい。でも、気にしない。周囲を囲む窓。その向こうの光景も取り込んだ。照明は一切使わない。だんだん暗くなり最後は真っ暗になる。4人の役者たちの衣装に施された照明代わりの灯りが唯一の照明となる。その灯りがどんどん零れていく。やがて、最後にはここがそのまま黒い湖になる。闇の中、真っ暗なこの場所は文字通り『黒い湖のほとり』となるのだ。その瞬間を見せたいがための芝居ではないか、と思わせるくらいに圧倒的な光景だ。

2組の夫婦の話だ。彼らが久々に湖のほとりで再会するところから話は始まる。しかし、彼らの会話はなかなか観客である我々の中に入ってこない。これは普通の意味での会話劇ではない。モノローグを多用した内面の告白であったりもする。4人の会話は、なかなか噛み合わない。話も進まない。芝居の進行とともに、彼らの関係性もまた、どんどん沈潜していく。過去と現在を重ね合わせたり、あるいはそれらを引き離したりしながら展開していくからだ。

やがては、4年前の事件へと近づいていくことになるのだが、明確にするのではなくどんどん曖昧にする。だいたい最初からセリフを追うことが難しい。広い空間で会話が聞き取り難く、なのにそのことを、演出はあまり気にしないで、印象だけでいいとばかりに、見せていく。彼らに何があったのか。だが、彼らの関係性も含めて謎が謎のまま、どんどん先に進んでいく(というか、停滞したまま)ばかりだ。いつまでたっても、核心にふれることはない。なんだか、もどかしい。人影はやがて闇に溶け込み、消えていく。そこに残るのは静寂のみだ。

「ドイツを代表する劇作家」デーア・ローアーの戯曲を本邦初公開で翻訳上演した。外輪さん好みのどろどろのお話で、暗くて重くて、一筋縄ではいかない。だが、それこそが作り手のねらいなのかもしれない。お話を語るのではなく、この場所で4人の男女がたたずんでいる。それだけで、充分なのだ。それだけのことを2時間の作品にして見せてしまうのである。大胆で繊細な外輪作品でしか為し遂げられない仕業だろう。


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