とてもかわいい話で、こういう少年たちのお話って今までもたくさんあったはずだ。そこには忘れられないたくさんの愛おしい映画がある。この作品もそんな傑作のひとつになるはずだった。だが、この映画は少しそれらの映画とは違うものとなる。それらの映画の持つルックスとはいささか趣を異にするのだ。映画はほのぼのとしたものではない。醒めている。ここには主人公の2人を少し突き離したような距離感がある。この映画は、客観的な描写でこの「かわいい話」を展開させていく。そこがこの映画にのめり込めない原因となると、同時にこの映画の魅力だ。
彼らの置かれている環境も実はこの手の映画の定番とはいささか趣を異にする。宗教上の理由でさまざまな制限を受けてきた無邪気で純真な少年ウイル。いいかげんで凶暴な兄と2人暮らしで誰からも世話にならず孤独に生きる暴力的で狡賢い少年カーター。一応そういうレッテルを貼ってみる。そんな2人が出会い、最初は弱い者が強い者に虐げられるという図式かと、思わせといて実はこんな2人が心通わせ親友となる、という定番へと話をドライブしていく。そこに至る理由がランボーなのだ。スタローンをスターダムにのし上げたバイオレンス映画『ランボー』が、2人の心を繋ぐことになる。偶然カーターの家でこの映画を見たウイルがランボーに嵌る。ランボーのマネをして、映画の主人公を演じるウイル。それまでの鎖から解き放たれて映画の世界で自由に生きることになる。
現実と虚構との境目を映画というフィルターを通してしっかり認識したまま、それ故に自由にその世界にのめり込める。この映画が仕掛けたこの方法は彼らの屈折した環境ゆえ見事に機能するこことなる。だが、それはあくまでも映画の中の世界の出来事でしかない。だが、映画を作るという能動的行為は、ただ夢を見るのとは違う。映画の撮影のため命懸けでタフに戦う姿は逃避ではなく、人生自身に立ち向かう姿だ。現実の世界に生きるのではなく、映画という現実に生きる。
定番の友情の危機とか、思いがけない事故とか、よくあるパターンはちゃんと踏襲してある。ここまでやらなくてもいいんじゃないか、というくらいにお決まりの展開である。だが、きっとこれもわざとなのだろう。定番の枠を用意し、そこからどんどんはみだすものこそが、この映画の描きたかったものだと気付かせる。監督のガース・ジェニングスはそういう仕掛けを通して映画という手段が少年たちのどうしようもない現実に風穴を開ける武器となることを描く。
ここまで本格的に小学生が映画製作出来るのか、とか、突っ込みどころは満載だが、敢えてそこには踏み込まない。彼らがヒーローになり、森を駆け抜け、敵を倒し、戦う姿を描くことこそがこの映画の根幹で、こんなカメラワークや編集は小学生には不可能だろ、なんて考えて興醒めしても意味がない。そんなことより大事なことは今ある現実からこんなにも軽やかに飛翔した彼らの姿だ。そこにこの映画の存在意味がある。
彼らの置かれている環境も実はこの手の映画の定番とはいささか趣を異にする。宗教上の理由でさまざまな制限を受けてきた無邪気で純真な少年ウイル。いいかげんで凶暴な兄と2人暮らしで誰からも世話にならず孤独に生きる暴力的で狡賢い少年カーター。一応そういうレッテルを貼ってみる。そんな2人が出会い、最初は弱い者が強い者に虐げられるという図式かと、思わせといて実はこんな2人が心通わせ親友となる、という定番へと話をドライブしていく。そこに至る理由がランボーなのだ。スタローンをスターダムにのし上げたバイオレンス映画『ランボー』が、2人の心を繋ぐことになる。偶然カーターの家でこの映画を見たウイルがランボーに嵌る。ランボーのマネをして、映画の主人公を演じるウイル。それまでの鎖から解き放たれて映画の世界で自由に生きることになる。
現実と虚構との境目を映画というフィルターを通してしっかり認識したまま、それ故に自由にその世界にのめり込める。この映画が仕掛けたこの方法は彼らの屈折した環境ゆえ見事に機能するこことなる。だが、それはあくまでも映画の中の世界の出来事でしかない。だが、映画を作るという能動的行為は、ただ夢を見るのとは違う。映画の撮影のため命懸けでタフに戦う姿は逃避ではなく、人生自身に立ち向かう姿だ。現実の世界に生きるのではなく、映画という現実に生きる。
定番の友情の危機とか、思いがけない事故とか、よくあるパターンはちゃんと踏襲してある。ここまでやらなくてもいいんじゃないか、というくらいにお決まりの展開である。だが、きっとこれもわざとなのだろう。定番の枠を用意し、そこからどんどんはみだすものこそが、この映画の描きたかったものだと気付かせる。監督のガース・ジェニングスはそういう仕掛けを通して映画という手段が少年たちのどうしようもない現実に風穴を開ける武器となることを描く。
ここまで本格的に小学生が映画製作出来るのか、とか、突っ込みどころは満載だが、敢えてそこには踏み込まない。彼らがヒーローになり、森を駆け抜け、敵を倒し、戦う姿を描くことこそがこの映画の根幹で、こんなカメラワークや編集は小学生には不可能だろ、なんて考えて興醒めしても意味がない。そんなことより大事なことは今ある現実からこんなにも軽やかに飛翔した彼らの姿だ。そこにこの映画の存在意味がある。