三木孝浩監督最新作。青春映画の旗手として、これまでさまざまな作品にチャレンジしてきたけど、さすがにこの手のジャンルはもう食傷気味。またか、と思ってしまった。今、少女マンガの映画化があまりに頻繁で、どれもこれも同じような作品ばかり。三木監督自身も自分の作品に対してマンネリを感じてはいないか。そんな中での今回の作品である。土屋太凰主演のラブストーリーで、吹奏楽部と野球部、という「部活もの」。手垢のついた素材に見える。タイトル通りに「応援もの」だし。甲子園目指すし。
だから、これが三木孝浩作品でなかったなら、絶対に見ない。だが、監督が彼である以上、これを外すわけにはいかない。デビュー作から全作品を見ている。どんな企画であろうとも、彼は誠実で感動的な作品に仕上げてきた。初期作品で低予算の70分の中編作品『管制塔』ですら、一切、手を抜くことなく、素晴らしい作品に仕上げた。これまであらゆる少女マンガを映画にしてきた。
そんな彼だから、今さらこの企画はもうないはずだけど、でも、引き受けた。引き受けた以上はきっと勝算があるはずなのだ、と思った。どこにでも、誰にでもある青春の1ページを普遍性だけではなく、彼らだけの特別な時間として描く。今回、彼がこの作品に仕掛けたのは、瑣末は描かないという姿勢だ。枝葉末節の中に、魂が宿る。だが、3年間を2時間で描くためには、きちんと端折ることも必要だ。特別なお話はいらない。
映画は前後編に完全に分かれている。高1の春から夏と、高3の夏。間はすっ飛ばす。あれこれ、描く時間はないからだ。目的に向けて全身でぶつかる彼らのその間の姿はちゃんと想像できる。1年の夏、甲子園はなかった。そして、最後の夏。描かれるのは、その二つの時間だけ。その時のこと。そんなピンポイントからふたりの3年間のすべてを描く。
いつも下を向いてばかりだった少女が勇気を出して、上を向く。高校生になったなら、絶対に吹奏楽部に入りたかった。そこで、トランペットを吹きたかった。野球部の応援をしたかった。
そんなささいな夢をかなえることは、彼女にとって決して簡単なことではない。しかも、ここは吹奏楽部の名門高校だ。初心者がついていけるわけはない、と言われる。でも、彼女はここでやりたかった。子供の頃、TVで見た感動的な風景の中に自分も身を置きたいと願った。偶然出会った同じ夢を持つ男の子。彼もまた、あの風景を見ていた。彼はグランド側で立つことを夢見た。夏の甲子園に出る。
これはそんなふたりのお話だ。それを敢えて恋愛ものにはしない。これも、そんな時間はないからだ。励まし合いながらお互いの夢の実現に励むというのではない。同じ場所にいるのだけど、別々のところで、同じ目標に向かい頑張る姿を描く。恋愛の要素は極力排した。お互いの想いはそれぞれわかっているけど、胸の中に秘める。夢のために。だから、ラストでちゃんとキスシーンがあるのが、いいな、と思った。安易な終わらせ方ではなく、そこに至るふたりの思いがちゃんと描かれてあるから、納得がいくのだ。禁欲的なドラマではなく、何を大切にしたかを第一にした。心を抑えることの慎ましさ。そこにポイントを置いた。何かを叶えるためには、いろんなことを我慢しなくてはならない。あれもこれもと欲張るわけにはいかない。
確かに甘いお話だ。あまりの少女マンガで、鼻白むかもしれない。だが、エールを送ること、というただそれだけで、すべての答えとする単純さが、この映画にリアリティを与えた。これはこれでありだ、と思う。
ただ、「がんばれ」と、それだけが言いたい映画。それ以外何も望まない。悩んだり、立ち止まったり、しない。彼らにはそんな余裕はないからだ。たった3年間しかない高校時代を全力で駆け抜けていく。そんな清々しい青春を描く。三木孝浩はもう一度、ここに戻ってきた。ここから、再スタートを切る。そんな覚悟を感じさせる作品だった。
余談だが、顧問の先生を上野樹里が演じている。『スィングガール』で、吹奏楽部の高校生だった彼女がここでは指導する側にまわるのだ。なんだか変な感じだ。まぁ、それくらいに時間が過ぎたということなのだが。三木作品としては『陽だまりの彼女』以来となる。抑えた演技がいい。この先生がただの「いい人」だったり、鬼コーチみたいなキャラだったりしたら、うんざりなのだが、ちゃんと存在感があるのに、出しゃばらないのがいい。