すさまじい暴力シーンのオンパレード。下関、小倉を舞台にして、高校をドロップアウトしたチンピラが、喧嘩に明け暮れ、街をブラブラしながら過ごす無為と紙一重の時間が描かれる。もちろんそんな彼の行くところ、暴力の嵐だ。なんとも殺伐とした映画である。グー・スーヨン監督の自伝的物語。主人公の名前はそのままで、グー(松田翔太)だ。ただし、時代背景は現代に設定される。そのせいでなんだかバランスの悪い映画になってしまった。
初めてこの映画の予告編を見たときに衝撃は大きかった。あれだけインパクトのある予告を見た以上、劇場に行かないではいられない。実際の本編のほうも予告編以上に凄まじいのだから、看板に偽りなしだ。まぁ、看板であるタイトルの方は『ハードロマンチッカー』だなんて、なんだか暴力映画とは思えないタイトルなのだが。
最初はとても面白い映画だった。こんなタイプの映画は見たことがない。ストーリーなんて何もない。暴力シーンの連鎖を見せるだけなのだが、それが彼の毎日なのだから仕方ない。ドキュメンタリータッチ(と、言っても、カメラは彼に距離を置くのではない。反対に彼に寄り添うって感じだ)で彼の姿を追う。そこには彼を取り囲むどうしようもない現状がそのまま描かれるのだが、彼はそんな日々の中をただ漂うだけだ。どこかに向かっていくのではない。出口や、未来は一切見えない。何を求めているのかも、わからない。だから、だんだんイライラしてくる。映画の方向性がどこまで見ても明確にならないからだ。だが、それこそがこの映画のねらいなのだから文句を言ってもしかたがない。もちろん、文句ではない。これはこれで面白いのだ。
ファーストシーンの後、そこに到るドラマが語られて、ようやく最初に戻ってきて、それ以降のリアルタイムへ突入していくところから、ある種の方向性が明確にならなくては、映画としてまずいはずなのに、敢えてそうはしない。ならば、順番通りに見せたっていいではないか、と思う。これでは、このスタイルにした意味が観客に届かない。とんでもない大バカ野郎なのか。それすら見えない。伝えようと言う気もないのかもしれないが、それで何も伝わらないようではやはり、これでは失敗でしかない。描かれていることが、一時代前の感覚なので、なんか今の時代にそぐわない。グー・スーヨンは予算の関係で時代を現代に変更したのだろうが、ここに描かれることが普遍の域には達しないから、見ていて違和感ばかりが積もっていくのが残念だ。
初めてこの映画の予告編を見たときに衝撃は大きかった。あれだけインパクトのある予告を見た以上、劇場に行かないではいられない。実際の本編のほうも予告編以上に凄まじいのだから、看板に偽りなしだ。まぁ、看板であるタイトルの方は『ハードロマンチッカー』だなんて、なんだか暴力映画とは思えないタイトルなのだが。
最初はとても面白い映画だった。こんなタイプの映画は見たことがない。ストーリーなんて何もない。暴力シーンの連鎖を見せるだけなのだが、それが彼の毎日なのだから仕方ない。ドキュメンタリータッチ(と、言っても、カメラは彼に距離を置くのではない。反対に彼に寄り添うって感じだ)で彼の姿を追う。そこには彼を取り囲むどうしようもない現状がそのまま描かれるのだが、彼はそんな日々の中をただ漂うだけだ。どこかに向かっていくのではない。出口や、未来は一切見えない。何を求めているのかも、わからない。だから、だんだんイライラしてくる。映画の方向性がどこまで見ても明確にならないからだ。だが、それこそがこの映画のねらいなのだから文句を言ってもしかたがない。もちろん、文句ではない。これはこれで面白いのだ。
ファーストシーンの後、そこに到るドラマが語られて、ようやく最初に戻ってきて、それ以降のリアルタイムへ突入していくところから、ある種の方向性が明確にならなくては、映画としてまずいはずなのに、敢えてそうはしない。ならば、順番通りに見せたっていいではないか、と思う。これでは、このスタイルにした意味が観客に届かない。とんでもない大バカ野郎なのか。それすら見えない。伝えようと言う気もないのかもしれないが、それで何も伝わらないようではやはり、これでは失敗でしかない。描かれていることが、一時代前の感覚なので、なんか今の時代にそぐわない。グー・スーヨンは予算の関係で時代を現代に変更したのだろうが、ここに描かれることが普遍の域には達しないから、見ていて違和感ばかりが積もっていくのが残念だ。