6つの短編からなる作品集なのだが、すべてのエピソードが暗くて重い。いずれの作品もほぼふたりの主人公をどんどん追い詰めていく。息苦しい。彼らが出会い、(再会し)自分たちを見つめなおし、どこにたどり着くのかが描かれる。総合タイトル通りの「小さな世界」から抜け出せるか否か、だ。
独立した短編集だが1話と最後の6話がリンクする。そうすることで一応完結するという作りになっている。もちろん、大事なことはそこではない。どうしようのない現実の中でもがき苦しむ。その先。光は見えるのか。全体が見事に一つの世界を作る。怖い話ばかりだ。それは生きていると誰もが出会う可能性のある恐怖だ。生まれてきたこと自身が恐怖になることもある。それはある日、自分の性癖に気づくことから始まる。今生きている生活から気づくこともある。そんなバカなことがと思うことが起きるのが現実世界だ。そんな紙一重の世界で危うい毎日の中で僕たちは一応平穏に生きている。数週間前に母親が亡くなった。あり得ないと思う。でも、現実だ。1月からずっと入院していたし、倒れた時、医者から今夜が山場です、とか言われた。でも、なんとか持ち直して、意識はあるけど、半身は麻痺したまま、もう家に戻ることはできないかもしれないとは覚悟していた。でも、ないわ、と思う。詳しいことはこんなところに書くものではないから、書かないけど、どんなことでも起こるのだと改めて思った。
なんだか読みながら、これは人ごと(というか、小説の中の出来事)なのに、人ごととはとても思えない切実さで迫ってきた。6つのお話がいずれも心当たりがあることばかりだ。特に5つ目の高校教師のお話(『愛を適量』)。彼が無気力になった理由は、この春僕が高校を辞めた理由と似ている。僕は彼のような独りよがりではないけど、心当たりはある。40年ほど(39年だ!)教師をしてきて、ずっとクラブ活動で土日もなく休みなく暮らして、そのうちの約30年、合計10回クラス担任をして、気が付いたら気持ちがボロボロだった気がする。7年間この母親の介護もあり、よくやっているよな、と自分でも自分が偉い、と思っていた。だが、知らないうちに心と体とを蝕んでいたのだろう。最後の『式日』の葬儀もそうだ。母親の葬儀をオーバーラップさせながら読んだ。
「変えられるものと変えられないもの。変えられたかもしれない過去。変えられなかったかもしれない未来を思い、後輩は飽きもせず胸を痛めるだろう。どこで降りるにせよ、今度のボタンは自分が押す。」