初めてJR北伊丹駅で降りた。伊丹までは、何度となく、行く。アイホールがあるからだ。しかし、その先には、なかなか行く機会がない。久々のエレベーター企画。今回はお寺で、ライブ。真宗大谷派寺院、大徳山 徳通寺というところの本堂での公演である。これは徳通寺が行う「おてらいぶ」での初めての演劇公演らしい。演目は、太宰治の『待つ』と、岸田國士の『明日は天気』『紙風船』を1,2本ずつにして組み合わせて見せる。
エレベーター企画でなければ、こんなところまで、わざわざ見に行かない。でも、これはエレベーターである。外輪さんの芝居である。僕は必ず見に行く。同じ時間を使うのならば、意味のあることをしたいからだ。お寺で、演劇公演をする、という試みにも心魅かれた。そして、久々の『紙風船』の再演というのも、うれしい。10年ほど前に初めて見たとき、すごいものを見た、と思った。岸田國士の原作は成瀬巳喜男監督の傑作『驟雨』で、見ている。あの映画は、数ある成瀬作品の中ではあまり高くは評価されていないようなのだが、僕は特別大好きな1作だ。新婚夫婦のなんでもないささやかな日曜日を、丁寧に見せる。『紙風船』はあの映画のメインとなるエピソードだった。
外輪さんは、そのささやかな営みを見事によみがえらせた。今回あの作品を、お寺の本堂で上演する。なにもない空間で、トランクと、白い布だけを使い見せた作品が、本尊を前にして、どんなふうに演じられるのか、興味津津だったのだが、結果は思いもしないものとなる。
久々に再会したこの作品は、なんだか、とても軽い作品に見えた。それがとても不思議だった。直前に姉妹編とでも言えそうな、『明日は天気』を見たからだろうか。この2作品は、同じように若い夫婦を主人公にする。そこには同じような、ちょっとした夫婦喧嘩が描かれる。それはなんだかとてもかわいらしい話なのだ。
せっかく休みをとって海水浴に来たのに、ずっと雨ばかりで泳げない。仕方なく旅館にこもり、恨めしそうに外を見る。部屋でごろごろしている、暇を持て余す。この旅行は2人にとって、この夏休みの楽しみだったのに、だいなしだ。挙句は喧嘩している。そんなふたりを土本ひろきと、若林ゆいが演じる。本堂にあったピアノも使って、見せたのは、なんだかへんてこな気分だ。でも、あるものは、なんでも利用する外輪さんらしい。ピアノを弾く若林さんが、何度かお話の中に挿入される。それが、この話に不思議なリズムを作る。ちょっとすっとぼけた雰囲気を醸し出す。この緊張感のある話に水を差す。でも、そんな余裕がいい。
そして、それは、その後上演された『紙風船』にも影響した。先にも書いたように、なんだか軽やかなのだ。以前見たときには、スタイリッシュで、突き詰めた作品だという印象のあるあの作品が、今回、さらりとした作品として、受け止めることが出来た。もちろん、つまらなくなった、というのではない。反対だ。外輪さんも、主役の2人も(土本ひろき+大野美伸)もこの10年で、きっと肩の力が抜けたのだと思う。難しく考えず、あっさりと作品と向き合い、その作品世界を提示出来るようになったのかもしれない。
結婚して1年。若い夫婦の日曜日。ほんのちょっとした諍い。新婚夫婦の倦怠感。それをかわいいものとして、軽く流せる余裕が出来たのだろうか。なんだかとてもさわやかな作品になっていた。不思議だ。
そして、もう1本。宮下牧恵さんによる独り芝居『待つ』。この短編小説は、以前、高校の授業でやったことがある。何を待つのか、ということを、描くのではない。ただ、待つという行為を描くのだ。だが、授業ではどうしても、意味を追いかけてしまう。どんなことを、やったのか、覚えていないけど、この作品を見ながら、これは授業なんかでするものじゃないな、と改めて思った。宮下さんの決然とした表情がいい。駅で待つ。部屋で待つ。どこで、待つ? 何を待つ? そういう、意味を超えたものが、ちゃんとそこにはあるからだ。これは演劇の持つ力を感じさせる作品だ。
エレベーター企画でなければ、こんなところまで、わざわざ見に行かない。でも、これはエレベーターである。外輪さんの芝居である。僕は必ず見に行く。同じ時間を使うのならば、意味のあることをしたいからだ。お寺で、演劇公演をする、という試みにも心魅かれた。そして、久々の『紙風船』の再演というのも、うれしい。10年ほど前に初めて見たとき、すごいものを見た、と思った。岸田國士の原作は成瀬巳喜男監督の傑作『驟雨』で、見ている。あの映画は、数ある成瀬作品の中ではあまり高くは評価されていないようなのだが、僕は特別大好きな1作だ。新婚夫婦のなんでもないささやかな日曜日を、丁寧に見せる。『紙風船』はあの映画のメインとなるエピソードだった。
外輪さんは、そのささやかな営みを見事によみがえらせた。今回あの作品を、お寺の本堂で上演する。なにもない空間で、トランクと、白い布だけを使い見せた作品が、本尊を前にして、どんなふうに演じられるのか、興味津津だったのだが、結果は思いもしないものとなる。
久々に再会したこの作品は、なんだか、とても軽い作品に見えた。それがとても不思議だった。直前に姉妹編とでも言えそうな、『明日は天気』を見たからだろうか。この2作品は、同じように若い夫婦を主人公にする。そこには同じような、ちょっとした夫婦喧嘩が描かれる。それはなんだかとてもかわいらしい話なのだ。
せっかく休みをとって海水浴に来たのに、ずっと雨ばかりで泳げない。仕方なく旅館にこもり、恨めしそうに外を見る。部屋でごろごろしている、暇を持て余す。この旅行は2人にとって、この夏休みの楽しみだったのに、だいなしだ。挙句は喧嘩している。そんなふたりを土本ひろきと、若林ゆいが演じる。本堂にあったピアノも使って、見せたのは、なんだかへんてこな気分だ。でも、あるものは、なんでも利用する外輪さんらしい。ピアノを弾く若林さんが、何度かお話の中に挿入される。それが、この話に不思議なリズムを作る。ちょっとすっとぼけた雰囲気を醸し出す。この緊張感のある話に水を差す。でも、そんな余裕がいい。
そして、それは、その後上演された『紙風船』にも影響した。先にも書いたように、なんだか軽やかなのだ。以前見たときには、スタイリッシュで、突き詰めた作品だという印象のあるあの作品が、今回、さらりとした作品として、受け止めることが出来た。もちろん、つまらなくなった、というのではない。反対だ。外輪さんも、主役の2人も(土本ひろき+大野美伸)もこの10年で、きっと肩の力が抜けたのだと思う。難しく考えず、あっさりと作品と向き合い、その作品世界を提示出来るようになったのかもしれない。
結婚して1年。若い夫婦の日曜日。ほんのちょっとした諍い。新婚夫婦の倦怠感。それをかわいいものとして、軽く流せる余裕が出来たのだろうか。なんだかとてもさわやかな作品になっていた。不思議だ。
そして、もう1本。宮下牧恵さんによる独り芝居『待つ』。この短編小説は、以前、高校の授業でやったことがある。何を待つのか、ということを、描くのではない。ただ、待つという行為を描くのだ。だが、授業ではどうしても、意味を追いかけてしまう。どんなことを、やったのか、覚えていないけど、この作品を見ながら、これは授業なんかでするものじゃないな、と改めて思った。宮下さんの決然とした表情がいい。駅で待つ。部屋で待つ。どこで、待つ? 何を待つ? そういう、意味を超えたものが、ちゃんとそこにはあるからだ。これは演劇の持つ力を感じさせる作品だ。