この3月、大阪アジアン映画祭のクロージングを飾った大作が、GWにひっそりと公開された。ピーター・チャンの新作である。香港と中国の合作として製作された超大作なのだが、日本ではこういうマイナー映画の扱いを受ける。これでも公開されるだけましな方だ。このクラスの大作映画ですら今の日本では劇場公開は難しい。本国で大ヒットしていても、である。本国でも台湾でも『アバター』並みにヒットした『孫文の義士団』があんな扱いを受けたことでもわかることだろう。
ドニー・イエンと金城武がW主演するミステリーアクションである。平凡なはずだった事件を扱って、でもそこに不審な点を見出した捜査官、金城武。執拗にこの事件を追いかける彼から犯人と目されるおとなしい村人、ドニー・イエン。小さな田舎の村を舞台にして、2人の静かな対決が、やがて村全体を戦場へと変える大事件へと発展していく。
ドニーのスーパーアクションが炸裂する極上のエンタテインメントだ。前半の静と後半の動のコントラストも見事だ。まさに映画でしか表現できない魅力を満載した至福の2時間である。娯楽活劇の見本となる傑作だ。だが、これでも僕の期待が大きすぎたからかもしれないが、思ったほどにはスケールも大きくないし、それほどの感動にも至らない。金城武を完全に脇にまわしてしまって、後半、彼にはまるで見せ場を作れなかったのももったいない。まぁ比較対象を『孫文の義士団』に設定したからそうなるのだが。
とてもベタな話で、これならタイトルも、オリジナルタイトルである『武侠』のままの方がよかった。『捜査官X』では、スケールも小さくなるし、視点となる捜査官が実は狂言回しでしかないから、映画の内容をちゃんと伝えない。タン・ウェイ演じる妻と、ドニーとの心のドラマをもう少し掘り下げて、ちゃんと泣ける映画にしてくれたなら、話に奥行きが出たはずだ。ラブストーリーにドニー・イエンは似合わないのは承知の上で、それでもそこを強調しなければ感動のドラマにはならない。先にも書いたが、日本語タイトルである『捜査官X』という安直な邦題は、やはりいただけない。
終盤に登場する『片腕ドラゴン』や70年代の香港カンフー映画で異彩を放った怪優ジミー・ウオングが、いい味を出しているから、あの雰囲気のまま、彼を『地獄の黙示録』のマーロン・ブランドのような怪物として描いて、映画に奥行きを与えればよかったはずだ。本来ならアクションを披露するはずの彼が敢えて動かないことで生じる、果てしない恐怖を描かなくては、この映画は成功しない。要するに、これは安易なアクション映画にしてしまうには惜しい映画なのだ。
ドニー・イエンと金城武がW主演するミステリーアクションである。平凡なはずだった事件を扱って、でもそこに不審な点を見出した捜査官、金城武。執拗にこの事件を追いかける彼から犯人と目されるおとなしい村人、ドニー・イエン。小さな田舎の村を舞台にして、2人の静かな対決が、やがて村全体を戦場へと変える大事件へと発展していく。
ドニーのスーパーアクションが炸裂する極上のエンタテインメントだ。前半の静と後半の動のコントラストも見事だ。まさに映画でしか表現できない魅力を満載した至福の2時間である。娯楽活劇の見本となる傑作だ。だが、これでも僕の期待が大きすぎたからかもしれないが、思ったほどにはスケールも大きくないし、それほどの感動にも至らない。金城武を完全に脇にまわしてしまって、後半、彼にはまるで見せ場を作れなかったのももったいない。まぁ比較対象を『孫文の義士団』に設定したからそうなるのだが。
とてもベタな話で、これならタイトルも、オリジナルタイトルである『武侠』のままの方がよかった。『捜査官X』では、スケールも小さくなるし、視点となる捜査官が実は狂言回しでしかないから、映画の内容をちゃんと伝えない。タン・ウェイ演じる妻と、ドニーとの心のドラマをもう少し掘り下げて、ちゃんと泣ける映画にしてくれたなら、話に奥行きが出たはずだ。ラブストーリーにドニー・イエンは似合わないのは承知の上で、それでもそこを強調しなければ感動のドラマにはならない。先にも書いたが、日本語タイトルである『捜査官X』という安直な邦題は、やはりいただけない。
終盤に登場する『片腕ドラゴン』や70年代の香港カンフー映画で異彩を放った怪優ジミー・ウオングが、いい味を出しているから、あの雰囲気のまま、彼を『地獄の黙示録』のマーロン・ブランドのような怪物として描いて、映画に奥行きを与えればよかったはずだ。本来ならアクションを披露するはずの彼が敢えて動かないことで生じる、果てしない恐怖を描かなくては、この映画は成功しない。要するに、これは安易なアクション映画にしてしまうには惜しい映画なのだ。