習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『モンスーン』

2022-01-16 14:25:26 | 映画

30年振りに訪れたベトナムは自分の知っているベトナムではなかった。近代化が進みあの頃の面影はどこにもない。サイゴンではなくハノイならまだ昔の風景が残っているよ、と言われるが、それでも自分が知っている場所ではもうない。ボート難民としてこの国を出た。家族でイギリスに逃れた。6歳の時だった。あれから一度も戻ることはなかった。30年振りで訪れたのは両親が亡くなったからだ。彼らの遺骨を散骨するためにやってきた。仕方なく棄ててきた故郷にもう一度戻してあげるために。喪われた祖国を取り戻すわけではない。棄ててきたのだ。自分にはもう祖国はない。ここにきて改めてそう思う。これはベトナム戦争の傷跡を描く映画だ、と言われたら確かにそういう一面もあるだろう。だけど、それだけなら人ごとにしかならないはずなのに、どうしてこんなにも僕たちの心を抉るのか。傍観者ではいられない。この映画に描かれる喪失感は誰もが多かれ少なかれ心の中に秘めているものだからだ。

今ではもうベトナム語も話せない。たったひとりでここにやってきた。遅れて兄とその家族もやってくる予定だが、まず先に自分がここに来た。ここに残る思い出や、知人と再会した。懐かしさより、違和感のほうが大きい。ここが自分の生まれた国で、自分はベトナム人だったはずだ。だけど、今の自分はイギリス人で、ここは自分にとって、過去の場所でしかない。決してさみしいというわけではないけど、なんとなく居心地の悪さは拭いされないそれが物悲しい。自分の故国が、こんなにも遠い場所になっている。ここではもう自分はただの旅行者で、部外者でしかない。

映画は彼の姿をただ淡々と追いかけるだけ。感傷に浸るわけではない。でも、落ち着かない。昔住んでいたところに行く。バイクだらけの車道。たくさんの人たち。ここで彼らは暮らしている。ここにはここの生活がある。でも、自分はただの旅人で彼らと同じではない。そんなこと、当たり前の話で、気にする方がおかしい。だけど、まるで自分がベトナムから拒絶されているような思いがする。彼は結婚をしていない。だから今は家族はいない。女性と付き合わない。同性愛者だ。ここで出会ったひとりの男性と付き合う。彼は黒人で、ベトナム人ではないけど、ここで暮らしている。ある種の異邦人だ。だから共感する部分もあったのだろう。旅の途上でたまたま出会っただけの浅い関係だけど、気が合う。彼がゲイであることはこの映画において重要ではない。だけど、そのことも含めて居場所を失った男というこの映画の根底にある事象を彩ることになる。

サイゴンからハノイへと列車で移動する。ハノイでも違和感は拭い去れない。確かに昔の町並みは残っているけど、自分が知っているベトナムではない。これはきっと自分の問題なのだろう。映画は何も語らない。驚きもない。失望もない。ただ、あるがままを受け入れるしかない。これが現実だ。そして、それはそれでいいことなのだ。これが感傷過多の映画になっていたならきっと気持ち悪い映画だっただろう。この距離感が心地よい。当然自分の想いを説明もしないし、表情にすら出さない。ただここで風に吹かれて、漂うように、ひと時を過ごす。それだけ。この映画が描く喪失感が胸に沁みる。自分はどこにもいない。誰とも通い合わさない孤独。


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