大阪での劇場公開はこの5月下旬に決まったらしいが、待ちきれず一足先にDVDで見た。ホウ・シャオシェン最新作。(それにしても大阪での公開はあまりに遅い。内容的に見てまず人が入ることはないのはよくわかるが、それにしても)
ホウ・シャオシェンとの衝撃の出会いから、既に20年の歳月は過ぎている。その間、最初の数年以降はずっと、彼の新作を楽しみにしてきても、必ず裏切られる。最初は『坊やの人形』だった。ホール上映でこの作品に会う。そして、台湾映画祭での『ナイルの娘』経由で噂ばかりが先行していた『童年往時』を今は無きシネマ・ヴェリテで見た。あの日の興奮と感動は一生忘れない。そして、『恋恋風塵』である。映画を見ながら嗚咽してしまったのは、あの時だけだ。彼女の結婚を知った瞬間、カメラはゆっくりと彼の周囲の木々を捉える。風に揺れる木々の林をカメラがパンしていく。彼の心がそこにはしっかりと描かれる。このシーンで声を上げて泣いてしまう。今これを書きながらも涙が出そうになっている。さらにはその後のラスト・シーン。祖父のところに行き、彼の横に座る。何気ない言葉を交わす。ただ、それだけなのに。
『恋恋風塵』の圧倒的な素晴らしさの後、彼は燃え尽きてしまった。キャリアとしては、その直後のヴェネチア国際映画祭グランプリに輝いた『悲情城市』でクライマックスを極め、今も世界の巨匠として自分本位の映画を撮り続けることになったが、生涯、『恋恋風塵』を超える作品を作ることはない。たとえ、後何十本、これからの人生で映画を撮ったとしても、である。
人間にとって、1番輝いている時代というものがあるとするならば、(それは死んで初めて判るものなのかもしれないが)彼にとってそれはあの作品であった。
作家にとっての頂点、それは時に残酷にも生きている時に明確に見えてしまうこともある。これから先何が起こるかわからないのが人生だともいえる。しかし、映画100年の歴史の頂点に立つような映画を撮ってしまった人に、それ以上の映画を撮れ、と望むのは酷である。一生分の力をその1本に注ぎ込んでしまった後も、人生は続く。何十本もの映画を作り続ける。それが映画監督として、生きていくということだ。1989年。ヴェネチアでグランプリを受賞した時、彼はまだまだ大丈夫だ、と思った。その後再び日帝時代の台湾を舞台に描く超大作『戯夢人生』(93)を撮り終えたところで燃え尽きた。だが、この2本の大作は彼の本来の仕事ではなかったことは、彼のフイルモグラフィーを振り返って見れば明らかである。
本当のことを言おう。彼は実質的にはデビュー作といっていい『坊やの人形』で彼自身のキャリアの頂点を極めてしまったのだ。あのたった40分ほどの中篇映画の中で彼はそのすべてを見せ尽くしてしまった。その後の彼の作品はあの作品のヴァリエーションでしかない。しかし、その中で彼は着実に力をつけ、キャリアを積み、『フンクイの少年』『童年往時』を経て『恋恋風塵』に到るのである。
映画史に名を残す傑作『恋恋風塵』については、ここで語るつもりはない。今はこの新作『百年恋歌』の話がしたい。今回この最新作を見て、改めて『フンクイの少年』から『恋恋風塵』に到る流れが彼にとって最高の時代だったのだなぁ、ということを思い返すことになったことが、こんな回顧的な文章を僕に書かせるきっかけになったという事実を明記しておこう。
ずっとビリヤードばかりして、過ごしていた若い頃。ビリアード場で働いていた女の子への恋情。兵役に就く不安。彼女から離れてしまうこと。募る恋心。『百年恋歌』の第1話で再び語られるこれらの物語は明らかにあの2本で彼が熱く描いた青春の日々の痛みである。それをこんなにもさらりともう1度見せたところに彼の現在の心境が垣間見れる。
『百年恋歌』の原題は『最好的時光』。「人生において一番輝いていた時」と意味だ。3本からなるオムニバス。1966年。1911年。2005年。3つの時代の3つの恋物語。『恋愛の夢』『自由の夢』『青春の夢』というシンプルなタイトル。これらは『恋恋風塵』『悲情城市』『ナイルの娘』という彼のエポックとなった3本の映画へのオマージュでもある。自分が生きた青春の頃の台湾。かって自分の親たちの世代が生きた頃の台湾。そして、今、さらには未来に向けて、台湾がどこにむかうのか。それを描こうとする。(彼の眼目はこの第3話にあるのは明らかである)
彼は今何を撮ればいいのかわからないまま映画監督として生きている。そんな彼の苦しみが映画からは痛いほど伝わってくる。彼は決して過去の人ではない。今もこれからもずっと台湾の映画監督として生きていくことであろう。ハリウッドに渡ることなく、台湾で生涯自分の映画を撮り、死んでいく。台湾を代表する映画監督である。
脚本のチュー・ティエン・ウエン、撮影のリー・ビンビンという往年のゴールデン・トリオが久々に再結集したホウ・シャオシェン渾身の一作。
一瞬の時間。もう戻ることのない瞬間。あの時に全てを捧げて、生きたこと。この映画にはストーリーはない。彼ら2人、3組の男女(スー・チーとチャン・チェンがすべてを演じる)のその一瞬をそのまま切り取り見せるだけだ。ホウ・シャオシェンはそれだけで1本の映画を作ってしまった。第1話のラスト。終電の出た後の駅で来る当ても無いバスを待つ2人が、初めて手をつなぐ。この瞬間はいつか忘れてしまうかもしれない。しかし、この瞬間彼らはすべてを忘れて幸せだった。そのことだけを映画は見せる。
追記 この文章は記憶を頼りに書いているので一部表記に誤りがある。後でわかったことを直そうかとも、思ったがやめにした。勢いが殺がれてしまうからだ。気になる人は自分で調べよう。
ホウ・シャオシェンとの衝撃の出会いから、既に20年の歳月は過ぎている。その間、最初の数年以降はずっと、彼の新作を楽しみにしてきても、必ず裏切られる。最初は『坊やの人形』だった。ホール上映でこの作品に会う。そして、台湾映画祭での『ナイルの娘』経由で噂ばかりが先行していた『童年往時』を今は無きシネマ・ヴェリテで見た。あの日の興奮と感動は一生忘れない。そして、『恋恋風塵』である。映画を見ながら嗚咽してしまったのは、あの時だけだ。彼女の結婚を知った瞬間、カメラはゆっくりと彼の周囲の木々を捉える。風に揺れる木々の林をカメラがパンしていく。彼の心がそこにはしっかりと描かれる。このシーンで声を上げて泣いてしまう。今これを書きながらも涙が出そうになっている。さらにはその後のラスト・シーン。祖父のところに行き、彼の横に座る。何気ない言葉を交わす。ただ、それだけなのに。
『恋恋風塵』の圧倒的な素晴らしさの後、彼は燃え尽きてしまった。キャリアとしては、その直後のヴェネチア国際映画祭グランプリに輝いた『悲情城市』でクライマックスを極め、今も世界の巨匠として自分本位の映画を撮り続けることになったが、生涯、『恋恋風塵』を超える作品を作ることはない。たとえ、後何十本、これからの人生で映画を撮ったとしても、である。
人間にとって、1番輝いている時代というものがあるとするならば、(それは死んで初めて判るものなのかもしれないが)彼にとってそれはあの作品であった。
作家にとっての頂点、それは時に残酷にも生きている時に明確に見えてしまうこともある。これから先何が起こるかわからないのが人生だともいえる。しかし、映画100年の歴史の頂点に立つような映画を撮ってしまった人に、それ以上の映画を撮れ、と望むのは酷である。一生分の力をその1本に注ぎ込んでしまった後も、人生は続く。何十本もの映画を作り続ける。それが映画監督として、生きていくということだ。1989年。ヴェネチアでグランプリを受賞した時、彼はまだまだ大丈夫だ、と思った。その後再び日帝時代の台湾を舞台に描く超大作『戯夢人生』(93)を撮り終えたところで燃え尽きた。だが、この2本の大作は彼の本来の仕事ではなかったことは、彼のフイルモグラフィーを振り返って見れば明らかである。
本当のことを言おう。彼は実質的にはデビュー作といっていい『坊やの人形』で彼自身のキャリアの頂点を極めてしまったのだ。あのたった40分ほどの中篇映画の中で彼はそのすべてを見せ尽くしてしまった。その後の彼の作品はあの作品のヴァリエーションでしかない。しかし、その中で彼は着実に力をつけ、キャリアを積み、『フンクイの少年』『童年往時』を経て『恋恋風塵』に到るのである。
映画史に名を残す傑作『恋恋風塵』については、ここで語るつもりはない。今はこの新作『百年恋歌』の話がしたい。今回この最新作を見て、改めて『フンクイの少年』から『恋恋風塵』に到る流れが彼にとって最高の時代だったのだなぁ、ということを思い返すことになったことが、こんな回顧的な文章を僕に書かせるきっかけになったという事実を明記しておこう。
ずっとビリヤードばかりして、過ごしていた若い頃。ビリアード場で働いていた女の子への恋情。兵役に就く不安。彼女から離れてしまうこと。募る恋心。『百年恋歌』の第1話で再び語られるこれらの物語は明らかにあの2本で彼が熱く描いた青春の日々の痛みである。それをこんなにもさらりともう1度見せたところに彼の現在の心境が垣間見れる。
『百年恋歌』の原題は『最好的時光』。「人生において一番輝いていた時」と意味だ。3本からなるオムニバス。1966年。1911年。2005年。3つの時代の3つの恋物語。『恋愛の夢』『自由の夢』『青春の夢』というシンプルなタイトル。これらは『恋恋風塵』『悲情城市』『ナイルの娘』という彼のエポックとなった3本の映画へのオマージュでもある。自分が生きた青春の頃の台湾。かって自分の親たちの世代が生きた頃の台湾。そして、今、さらには未来に向けて、台湾がどこにむかうのか。それを描こうとする。(彼の眼目はこの第3話にあるのは明らかである)
彼は今何を撮ればいいのかわからないまま映画監督として生きている。そんな彼の苦しみが映画からは痛いほど伝わってくる。彼は決して過去の人ではない。今もこれからもずっと台湾の映画監督として生きていくことであろう。ハリウッドに渡ることなく、台湾で生涯自分の映画を撮り、死んでいく。台湾を代表する映画監督である。
脚本のチュー・ティエン・ウエン、撮影のリー・ビンビンという往年のゴールデン・トリオが久々に再結集したホウ・シャオシェン渾身の一作。
一瞬の時間。もう戻ることのない瞬間。あの時に全てを捧げて、生きたこと。この映画にはストーリーはない。彼ら2人、3組の男女(スー・チーとチャン・チェンがすべてを演じる)のその一瞬をそのまま切り取り見せるだけだ。ホウ・シャオシェンはそれだけで1本の映画を作ってしまった。第1話のラスト。終電の出た後の駅で来る当ても無いバスを待つ2人が、初めて手をつなぐ。この瞬間はいつか忘れてしまうかもしれない。しかし、この瞬間彼らはすべてを忘れて幸せだった。そのことだけを映画は見せる。
追記 この文章は記憶を頼りに書いているので一部表記に誤りがある。後でわかったことを直そうかとも、思ったがやめにした。勢いが殺がれてしまうからだ。気になる人は自分で調べよう。