主人公の男を演じる泉寛介さんは、なんだかひきこもりには見えないよなぁ、なんて思いながら見ていた。だが、そんな意外性がこの作品に微妙なリアリティーを生む。嘘くさくない。
わざとらしく散らかった部屋。殺風景な風景は、ここがリアルな生活空間とは思わさない。これはひとり暮らしのマンションの1室という象徴でしかない。とはいえ抽象的な空間デザインではなくある種のリアル空間として舞台美術は作られている。なんだかすべてが中途半端なのだ。だが、そんな半端な空間がこの芝居にはなぜか似合っている。
ひとり黙々とテトリスをする主人公はもちろんテトリスなんかする気は全くない。何もすることがないからしている。ただの暇つぶしなのだ。彼の心の空洞を象徴したようなこの中途半端な部屋を舞台に、ドラマは展開する。
ここにやってくる4人の女たちは現実でも幻想でもない。昔の彼女、先輩の離婚した奥さん、中学校時代の同級生の女の子、そして、バイト先で知り合い、なんとなく付き合っている彼女。この4人の女たち。彼女たちがなんとなくお互いに仲良くなってしまい、彼を差し置いてこの部屋で話したり、笑ったりしている。ひとりぼっちの部屋のはずが、なぜかいつも入れ替わり立ち替わり女たちが彼の心配をしてここを訪れる。
正直言ってこの状況はリアルではない。だが平然とこの芝居はそんな様子を静かなタッチで見せていく。この不思議な状況をなんとなく、なんだか面倒くさそうに、彼は受け止めている。ストーリーのなかにはドラマ性はない。会話から生じる単純な状況とそのリアクションのみが語られる。彼の過去とか現実とか、そんなものには足を踏み入れない。だから、彼がなぜ「ひきこもり」になったのかも語られることはない。
彼は基本的に、この部屋から出ない。そして、実は、誰もこの部屋を訪れたりしていないのかもしれないなんて思う。普通にここへ出入りする女たち、その存在感のなさに驚く。4人はなんだか幽霊のようだ。
彼女たちは彼の過去、現在、未来を貫く。失ってしまった昔の恋人。近所の火事で死んでしまったかっての同級生。先輩の奥さんでしかない女性。バイト先の女の子。4人は果たしてそこに存在しているのか。それさえも危うい。
ただ、彼は今、このベランダに佇み、煙草をふかしている。それだけなのかもしれない。そんな気持ちにさせられる。空っぽの部屋。ずっとひとり。そんな彼が見た幻想。
もちろんこの芝居は、そんなことは言わない。4人の女たちはたぶん現実であろう。だが、現実と幻想の境目なんてほんとは実にあやういものでしかない。何度も繰り返されるサイレンの音。火事についてのやり取り。近所で起きた火事が、唯一の事件として語られる。だが、そこを基点として芝居が流れていくわけでもない。
僕はこの芝居の曖昧さが好きだ。作、演出の関川佑一さんは決め付けないし、明確なメッセージを提示したりもしない。ただこの気分だけを大事にする。そんな中で主人公の男が、人と人との関係性をもう一度取り戻そうとする、そのことだけは明確に見せる。ラストでは、彼が新しい1歩を踏み出そうとする姿が描かれる。ベランダで煙草を吸いながら微笑む彼女の姿が印象的だ。誰が帰ってきたのかはわからない。彼はそんなベランダと玄関の間である部屋の中にいる。その時、彼は確かにここにいる。
わざとらしく散らかった部屋。殺風景な風景は、ここがリアルな生活空間とは思わさない。これはひとり暮らしのマンションの1室という象徴でしかない。とはいえ抽象的な空間デザインではなくある種のリアル空間として舞台美術は作られている。なんだかすべてが中途半端なのだ。だが、そんな半端な空間がこの芝居にはなぜか似合っている。
ひとり黙々とテトリスをする主人公はもちろんテトリスなんかする気は全くない。何もすることがないからしている。ただの暇つぶしなのだ。彼の心の空洞を象徴したようなこの中途半端な部屋を舞台に、ドラマは展開する。
ここにやってくる4人の女たちは現実でも幻想でもない。昔の彼女、先輩の離婚した奥さん、中学校時代の同級生の女の子、そして、バイト先で知り合い、なんとなく付き合っている彼女。この4人の女たち。彼女たちがなんとなくお互いに仲良くなってしまい、彼を差し置いてこの部屋で話したり、笑ったりしている。ひとりぼっちの部屋のはずが、なぜかいつも入れ替わり立ち替わり女たちが彼の心配をしてここを訪れる。
正直言ってこの状況はリアルではない。だが平然とこの芝居はそんな様子を静かなタッチで見せていく。この不思議な状況をなんとなく、なんだか面倒くさそうに、彼は受け止めている。ストーリーのなかにはドラマ性はない。会話から生じる単純な状況とそのリアクションのみが語られる。彼の過去とか現実とか、そんなものには足を踏み入れない。だから、彼がなぜ「ひきこもり」になったのかも語られることはない。
彼は基本的に、この部屋から出ない。そして、実は、誰もこの部屋を訪れたりしていないのかもしれないなんて思う。普通にここへ出入りする女たち、その存在感のなさに驚く。4人はなんだか幽霊のようだ。
彼女たちは彼の過去、現在、未来を貫く。失ってしまった昔の恋人。近所の火事で死んでしまったかっての同級生。先輩の奥さんでしかない女性。バイト先の女の子。4人は果たしてそこに存在しているのか。それさえも危うい。
ただ、彼は今、このベランダに佇み、煙草をふかしている。それだけなのかもしれない。そんな気持ちにさせられる。空っぽの部屋。ずっとひとり。そんな彼が見た幻想。
もちろんこの芝居は、そんなことは言わない。4人の女たちはたぶん現実であろう。だが、現実と幻想の境目なんてほんとは実にあやういものでしかない。何度も繰り返されるサイレンの音。火事についてのやり取り。近所で起きた火事が、唯一の事件として語られる。だが、そこを基点として芝居が流れていくわけでもない。
僕はこの芝居の曖昧さが好きだ。作、演出の関川佑一さんは決め付けないし、明確なメッセージを提示したりもしない。ただこの気分だけを大事にする。そんな中で主人公の男が、人と人との関係性をもう一度取り戻そうとする、そのことだけは明確に見せる。ラストでは、彼が新しい1歩を踏み出そうとする姿が描かれる。ベランダで煙草を吸いながら微笑む彼女の姿が印象的だ。誰が帰ってきたのかはわからない。彼はそんなベランダと玄関の間である部屋の中にいる。その時、彼は確かにここにいる。