湯浅政明監督最新作。今回は「能」を扱う。そしてこれは先日見た傑作『平家物語』の続編のような映画だ。もちろんあのアニメ『平家』と同じサイエンスSARUが制作している。壇ノ浦に沈んだ三種の神器を探し出すところからお話は始まる。何が始まるのかと、ドキドキしながらスクリーンを見守る。そこには今まで誰もが見たことのない世界が繰り広げられるはずだ。原作も『平家』の古川日出男。(『平家物語 犬王の巻』だ)期待は高まるばかりだ。
だが、僕はなんだか取り残されてしまった。こんなはずじゃなかったはずなのに、と思う。途中からなんと眠くなってしまう始末だ。だってお話があまりになさすぎる。そのくせライブ・シーンは異様に長い。ミュージカル・アニメだからそれでいいでしょ、と言われたらそれまでなのだけど、延々と続く歌と演奏は作り手の見せ所だったのだろうが、見ていて少しつらかった。しかも描かれるのは能ではなくロック。
さらにはラストの将軍の前での新曲熱唱シーン。あれは確かに凄いのだろうけど、僕はそこにさえ乗れなかった。その後の結末も含めて、作品自体の凄さはわかるけど、それを素直に受け止められない。アニメで能楽ライブをロックミュージカルのようなタッチで見せられても、それだけでは映画にならない。肝心の主人公ふたりによるドラマがそんなライブ・シーンに押されてしまい、伝わってこない。
ふたりが出会い共鳴しあい、作り上げる能楽。目の見えない琵琶法師と、異形の能楽師。ふたりの天才が幻のような世界を作り上げていく。ドラマとライブの融合ではなく、1本の映画としての世界が欲しい。これほどまでに民衆を熱狂させるものは何だったのか。犬王の仮面の下の顔が明かされるとき、何を失うことになるのか。盲目の琵琶法師・友魚が死しても名前を棄てないことに何の意味があるのか。幻になる犬王の謡曲が消えていくことをどう受け止めたならいいのか。そんなこんなを突き詰めて描いて欲しかった。でも、そんなつまらない理屈なんかいらない、という映画に仕上がっている。