公開2週目から一日1回上映に減らされてしまい、梅田では6時の回だけ。さっそく土曜日だけど時間の都合がついたので見てきた。観客は10人弱だった。こういう地味な映画はダメなのか、と思う。でも、作品自体は素晴らしい。韓国から3歳の時にアメリカに養子としてやってきて、40代になり結婚もしているし、子供もいる(しかも、もうすぐ赤ちゃんが生まれる)男が、移民の強制送還によって(韓国語もしゃべれないし、身寄りもいない)韓国に戻されるまでのお話。
身重の妻の生む予定の赤ちゃんが女の子であることが判明した、というところから映画は始まる。幼い娘(妻の離婚した夫との子供だけど、彼に懐いていて彼のことが大好き!)と病院に駆けつけるシーンから始まる。いや、違う。最初は、彼と娘がふたりで仕事の面接に行くシーンだった。前科があることから断られるシーンだ。実はここから彼のこの先の暗い未来が暗示されていた。でも、その直後の病室に駆け込み大喜びするシーンで帳消しにされてしまう。安易に明るい未来がきっとある、と思える。
いや、まだその直前にこんなシーンがあった。映画の冒頭は川の中に入る女の姿だ。誰なのか、わからない。いつのことなのかも。それは記憶のかたすみにずっとある光景だ。きっと彼を産んだ母親であろう。
冒頭のたぶん5分ほどで提示されるこの3シーンがこの映画のすべてを象徴する。映画はこの理不尽をそのまま提示するばかりだ。さまざまなこと、そのひとつひとつがどうしようもない。救いがない。もちろんそれを為す術もなくただただ受け入れたわけではない。最大限の抵抗はした。弁護士に払う費用を用立てるために犯罪に手を染め、仲間とバイク店で強奪までした。だけど、どうしようもない。
母親に棄てられて3歳の頃、アメリカに養子としてやってきたのに、養子先を転々とし、あげくは虐待を受け、逃げ出した。犯罪に手を染めたのも仕方ないことだ。今はタトゥーを彫る仕事で生計を立てている。アメリカ人の妻と幸せに暮らしているけど、経済的には苦しい。生まれてくる子のために、もう少し実入りのいい仕事に就きたい。それが冒頭のエピソードだ。
たぶん16ミリのフィルム撮影であろう。荒々しい画像が荒涼とした彼の内面を象徴する。ベトナム人の末期がんの女性とのエピソードが胸に痛い。ボートピープルとしてこの国に来て暮らす彼女たちのコミュニティを訪れるシーンがある。彼女の誕生日パーティに呼ばれて家族全員(3人だけど)で行く。苦しいことばかりなのに、今度は死の病だ。でも、それを受け入れるしかない。そんな彼女の痛みを知り、でも何をしてあげることもできない。
映画の終盤、ふたりで湖を見つめるシーンがある。彼女はこの後、死んでいく。彼はこの後、韓国に戻される。理不尽だ。だけど、どうしようもない。この映画が描く苦しみと僕たち観客も向き合う。僕たちはこんなこの世界の在り方に断固として抗議しなくてはならない。自身が韓国系アメリカ人であるジャスティン・チョンが製作・脚本・監督・主演作した渾身の力作だ。