小劇場のお芝居の映画化なんてあまりない。それだけに、そそられる。もちろんお話も面白い。イキウメの前川知大の戯曲を昨年初めてメジャー大作『ジョーカー・ゲーム』を手掛けた入江悠が映画化した。
地味で、重くて暗い映画だ。タルコフスキーのSF映画を思わせる内容で、こういうものにチャレンジする勇気には共感するし、応援はしたい。でも、この世界観の実現のためにはそれなりの製作費もかかる。これはいろんな意味で厄介な作品になるのは必至だ。低予算で作ると安っぽくなる。でも、大予算で作るには派手なエンタメではないから、安定した興行収入も見込まれないから、予算確保は難しい。だいたいこういう作品が作られて、上映されるということ自体が奇跡なのかもしれない。アミューズと角川による制作だ。
壮大なスケールの(ちょっとした)SF大作を期待したのだが、実は低予算のマイナー映画だった。さもありなん。
新種のウィルスによって人類の大半が死滅した後の世界。生き残った選ばれた一部の人類は地下に潜り、生活する。それ以外の人間は地上に残り、貧しい生活を強いられていた。太陽を棄てた者と、太陽に愛された者とが別々の未来を生きる世界で、人々はどんな未来をその先に見出すのか。太陽の光を浴びたなら、死ぬしかない人たちが選ばれたもので、陽の光を自由に浴びることが出来る者が、取り残された人類であるという逆転にもっとうまい意味を与えられなかったのか。映画を見ながら、いろんなところがもどかしくてならない。世界観の構築があまりに陳腐で、これではリアルな映画としては受け止められないのだ。中途半端なチープな自主映画もどきの作品にとどまる。
向こうの世界と、こちらの世界の対比も描き切れていない。進化することで太陽光を失い、さらには人間としての生殖機能も低下させてしまった人類が、この先にどんな未来を描くこととなるかも、まるで描けないまま、主人公の青年が新人類に憧れ、でも、願いは叶えられないで、そこから、ここでも、あちらでもない世界へ、むかうラストもあまり意味はない。
日本は広い。彼はこの小さい村から初めて外に出て、旅立つことになる。でも、そんなラストはあまりに安易。ふたつに分かれた世界で、(それは共産圏と自由主義諸国を思わせる。でも、そんな旧時代の図式を今の時代に提示してそこから何を描こうとしたのか?)ここでも、あちらでもない世界を求める。でも、理想郷の実現を目指した「四国」が、混乱の極みにある現実を知り、それでも、どこかに理想郷があるはずだと旅立つのだが、それはあまりに安易な結末ではないか。
主人公を演じる神木隆之介もどう頑張ればいいのか戸惑っている。背景となる世界を有りものではなく、しっかり作るためには予算がいる。でも、そこをちゃんとビジュアル化できないことには、映画は機能しない。せめて台本だけでもおもしろい世界を実現できていたならいいのだが、ストーリーの仕掛けもあまり上手く作れていない。そんなこんなでこれはいろんな意味でとても残念な映画だった。志は高いけど、それを実現するだけにものがここにはない。