『ロゼッタ』『ある子供』『ロルナの祈り』、ダルデンヌ監督は、いつも変わらない。淡々とした描写で冷徹に主人公たちをみつめていく。観客の我々は突き放された気分にすらなるのだが、彼は突き放しているのではない。そこにある現実をただそのまま見せていくばかりなのだ。それが、もどかしかったり、時には冷たすぎるのではないか、とも思う。だが、これが現実だ。そんな過酷な現実を少年は生きている。
彼に共感することはない。彼というのは、主人公の少年なのだが、ダルデンヌ監督でもある。彼らは自分の現実と向き合い、実にわがままで頑なで、突き放したくなるような、場面も多々あるけど、それすら受け入れていく。たまたま少年の里親になる女性は、どうしてあそこまで彼に構うのか、よくわからない。そこも、ダルデンヌ監督は一切説明抜きだ。絶対こんなタッチで見せられると、つまらない映画にしかならないはずなのだが、この緊張感の持続が素晴らしい。最後まで目が離せない。とくになんでもない長回しシーンの緊張感が凄い。延々と自転車を走らせる場面を追いかけながら、そこで何も起きない、とか。普通あり得ない。でも、彼の映画ではいくらでもある。
あのラストシーンもだ。少年は起き上がり何事もなかったかのように自転車を走らせる。なんだか、怖いほどだ。本当に大丈夫なのか。石をぶつけられて、木の上から落ちたのだ。しかも、脳しんとうを起こして、気絶していたのだ。後で、何かあるのではないか、と観客を不安にしたところで、映画はいきなり終わる。そこで、終わりかよ、と突っ込みを入れたくなるが、それで終わった。何の解決にもなってない。
父親に棄てられた少年が施設で暮らしながら、父が迎えに来てくれるのを待つ、という設定は、一昨年の最高傑作である『冬の小鳥』と同じパターンなのだが、こちらの少年の方が、自由度は高い。けっこう好きにしていられるし、わがままも利く。描かれる時代の違いもあるにはあるのだろう。でも、映画を見ていると、なんだか、この映画の主人公の彼の方が、『冬の小鳥』の少女より、いびつで、報われないと思うのは演出の問題か。少年は、なぜ、自分を棄てて顧みないあんな惨くて自分勝手な父親にいつまでもすがりつくのか。反対に、あんなわがままな彼を、里親になった女性はなぜあそこまで面倒をみるのか。しかも、少年はあれだけして貰いながら、彼女を何度となく裏切る。人間の気持ちなんて単純ではない、ということか。
これは、とてもいい映画だと思う。だが、見終えてなんだか、とても息苦しい気分になる。たった87分。でも、この緊張感はあまり心地よくはない。ここまでカタルシスのない映画でなくても、いいじゃないか、とか思う。でも、それがダルデンヌ兄弟のやり方なのだ。
彼に共感することはない。彼というのは、主人公の少年なのだが、ダルデンヌ監督でもある。彼らは自分の現実と向き合い、実にわがままで頑なで、突き放したくなるような、場面も多々あるけど、それすら受け入れていく。たまたま少年の里親になる女性は、どうしてあそこまで彼に構うのか、よくわからない。そこも、ダルデンヌ監督は一切説明抜きだ。絶対こんなタッチで見せられると、つまらない映画にしかならないはずなのだが、この緊張感の持続が素晴らしい。最後まで目が離せない。とくになんでもない長回しシーンの緊張感が凄い。延々と自転車を走らせる場面を追いかけながら、そこで何も起きない、とか。普通あり得ない。でも、彼の映画ではいくらでもある。
あのラストシーンもだ。少年は起き上がり何事もなかったかのように自転車を走らせる。なんだか、怖いほどだ。本当に大丈夫なのか。石をぶつけられて、木の上から落ちたのだ。しかも、脳しんとうを起こして、気絶していたのだ。後で、何かあるのではないか、と観客を不安にしたところで、映画はいきなり終わる。そこで、終わりかよ、と突っ込みを入れたくなるが、それで終わった。何の解決にもなってない。
父親に棄てられた少年が施設で暮らしながら、父が迎えに来てくれるのを待つ、という設定は、一昨年の最高傑作である『冬の小鳥』と同じパターンなのだが、こちらの少年の方が、自由度は高い。けっこう好きにしていられるし、わがままも利く。描かれる時代の違いもあるにはあるのだろう。でも、映画を見ていると、なんだか、この映画の主人公の彼の方が、『冬の小鳥』の少女より、いびつで、報われないと思うのは演出の問題か。少年は、なぜ、自分を棄てて顧みないあんな惨くて自分勝手な父親にいつまでもすがりつくのか。反対に、あんなわがままな彼を、里親になった女性はなぜあそこまで面倒をみるのか。しかも、少年はあれだけして貰いながら、彼女を何度となく裏切る。人間の気持ちなんて単純ではない、ということか。
これは、とてもいい映画だと思う。だが、見終えてなんだか、とても息苦しい気分になる。たった87分。でも、この緊張感はあまり心地よくはない。ここまでカタルシスのない映画でなくても、いいじゃないか、とか思う。でも、それがダルデンヌ兄弟のやり方なのだ。