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映画・演劇のレビュー

金蘭会高校演劇部『けろけろ』

2009-12-24 18:58:54 | 演劇
 久々に金蘭会の芝居を見て、元気をもらった気がする。毎年夏にはHPFで金蘭の芝居を見るのを楽しみにしてきたのに、2年連続仕事の関係で見ることが叶わなかっただけに、今回の「私学芸術文化祭」での公演はラッキーだった。

 このメンバーでの芝居を見るのはたぶん初めてで、しかも、演出に山本篤先生の名前がクレジットされていない。今まで見た芝居はいずれも総演出というクレジットがなされていたのではないか。それは、この作品が山本先生の手を完全に離れて、生徒主導で作られたことのアピールなのか。それとも、それほどの深い意味はないのか。そのへんの事情はよくわからないけど、仕上がった作品を見て、そこにはいつもながらの金蘭らしいカラーがよく出ており、とても気持ちのいい時間を過ごすことができたのだから、なんら問題はない。クレジットにあるなしに関わらず山本先生の芝居に対するスタンスは変わらない。全力で生徒たちとスクラムを組む。曖昧な距離をとったりはしない。

 芝居は当然のことながら、技術的にも、内容面でも、高校生レベルを完全に超えている。こういう小劇場演劇があればとてもおもしろい、と思えるくらいに独自の世界観を提示する。頑固なまでに自分たちの姿勢を変えない。混沌とするドラマ構造はアングラテイストで貫かれており、とても女子高生の芝居とは思えない。だが、どんなに残酷なシーンや展開があっても、芝居は下品にはならない。少女の純粋さが作品の全編を貫く。そこが彼女たちのすばらしさだ。

 30匹に及ぶ蛙を部屋で飼う。さらには蛙とディープキスをする10歳の少女、といういささかえげつなく、眉を顰めるような設定を根底に持ち、そんな少女を自殺に追い込んでいくところからドラマは始まる。赤ん坊の人形をいつも抱きしめる狂気の母が、人形の頭をもぎ取りその身体の中から、ナイフを取り出し主人公の少女を殺そうとする。彼女は7年前、そのナイフで自分の娘を刺している。それがこのドラマの核となる蛙少女の死の真相だ。30匹に及ぶ蛙たちを皆殺しにする残虐なシーンも交えて、作品全体のイメージはかなり凄惨で、グロテスクだ。その血まみれの中から真実が見えてくる。

 何気なく書いたブログによって、友だちを自殺に追い込んでしまった過去を持つ少女が、死んだ女の子の幻に導かれ、自らの内面世界と向き合う、というドラマが、死なせた少女の側からのお話だったはずなのに、いつの間にか、娘を失った母親の妄想の世界へとスライドしていき、気がつけばこの世界は、その母親の狂気の妄想世界だったことがはっきりする。なんともねじくれた構造を持つ芝居だ。それを金蘭らしい群衆シーンを随所に織り込みながら雪崩をうったように怒濤の展開を見せる。「かえるのうた」の大合唱がすばらしい。いくつもの切り口から、錯綜とするドラマはひとつにまとめられていく、という構造は見事だし、役者たちの熱い芝居は悪くない。テンションの高さで一気に最後まで見せていくのもこの集団らしくていい。

 いつも変わらない山本先生のチームのアンサンブル・プレーに触れて、こんな凄惨な話なのに、生きていく力を貰った気がした。久しぶりに芝居を見ながらとても昂揚した。

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