『マルコヴィッチの穴』のスパイク・ジョーンズ監督の新作である。有名なモーリス・センダックの絵本を原作にして自由奔放にイメージを飛躍させた。スパイク・ジョーンズはメジャー大作でも、子どもたちをターゲットにした作品であろうとも、いつものインディペンデント感覚を忘れない。
子供たちはこのラフなタッチをいったいどう受け止めたのだろうか。手持ちカメラで揺れる画像とか、不気味なかいじゅうたちの造形とか。(でも、原作のかいじゅうたちも大概だが)とても気になる。このファンタジーを理詰めで見るのは愚の骨頂かもしれないが、お話が理にかなわない。とてもわかりやすい話であるはずのこのお話なのに、なぜかすっきりした作り方はなさせていないのだ。そこを子どもがどう受け止めるのかに興味がある。
孤独な少年マックスが見た幻想の世界の出来事なのだが、かいじゅうたちの棲む島に行ったマックスが彼らの王様になり、一緒の楽しい時間を過ごす。彼らと遊んでいく中で、かいじゅうたちとの関係を通して、人間関係の難しさを学んでいく。人と関わっていくことは不条理だ。しかし、ひとりで孤独にひきこもって誰とも接することなく生きていくことは出来ない。
誰にもかまってもらえない少年が、たくさんのかいじゅうたちの中心にいることで彼らの屈折した気持ちを理解しようと努力し、その結果、相手を傷つけてしまったり、自分が傷ついたりする。うまくいかないことばかりだ。でも、その中から彼は人とぶつかっていくことを学ぶ。本当なら現実世界でするべき経験を、彼はこの空想の世界である島で、そして、かいじゅうたちのコミューンの中で学ぶこととなるのだ。
これはただの甘いだけの映画ではない。どちらかといえば苦い映画だ。観終わった時も、単純なハッピーエンドにはならない。母親と再会し、お母さんの胸の中に抱きとめられる、にも関わらずである。そんな一見ハッピーエンディングに見えるところから、この子の本当の人生が始まるのだ、と思う。現実はそうそう簡単なものではあるまい。わがままで、孤独で、人にかまってもらいたいくせに、何もできない。そんな少年はどこにでもいる。
スパイク・ジョーンズは『マルコヴィッチの穴』同様、不条理テイスト満載で、この寓話を作り上げた。中途半端な妥協は一切ないところがいい。
子供たちはこのラフなタッチをいったいどう受け止めたのだろうか。手持ちカメラで揺れる画像とか、不気味なかいじゅうたちの造形とか。(でも、原作のかいじゅうたちも大概だが)とても気になる。このファンタジーを理詰めで見るのは愚の骨頂かもしれないが、お話が理にかなわない。とてもわかりやすい話であるはずのこのお話なのに、なぜかすっきりした作り方はなさせていないのだ。そこを子どもがどう受け止めるのかに興味がある。
孤独な少年マックスが見た幻想の世界の出来事なのだが、かいじゅうたちの棲む島に行ったマックスが彼らの王様になり、一緒の楽しい時間を過ごす。彼らと遊んでいく中で、かいじゅうたちとの関係を通して、人間関係の難しさを学んでいく。人と関わっていくことは不条理だ。しかし、ひとりで孤独にひきこもって誰とも接することなく生きていくことは出来ない。
誰にもかまってもらえない少年が、たくさんのかいじゅうたちの中心にいることで彼らの屈折した気持ちを理解しようと努力し、その結果、相手を傷つけてしまったり、自分が傷ついたりする。うまくいかないことばかりだ。でも、その中から彼は人とぶつかっていくことを学ぶ。本当なら現実世界でするべき経験を、彼はこの空想の世界である島で、そして、かいじゅうたちのコミューンの中で学ぶこととなるのだ。
これはただの甘いだけの映画ではない。どちらかといえば苦い映画だ。観終わった時も、単純なハッピーエンドにはならない。母親と再会し、お母さんの胸の中に抱きとめられる、にも関わらずである。そんな一見ハッピーエンディングに見えるところから、この子の本当の人生が始まるのだ、と思う。現実はそうそう簡単なものではあるまい。わがままで、孤独で、人にかまってもらいたいくせに、何もできない。そんな少年はどこにでもいる。
スパイク・ジョーンズは『マルコヴィッチの穴』同様、不条理テイスト満載で、この寓話を作り上げた。中途半端な妥協は一切ないところがいい。