タナダ・ユキ監督が『百万円と苦虫女』に続いて撮った青春映画。こういう男の子の思春期ものって、今まで星の数ほど作られてきたが、女性監督が描いたものって初めてではないか? なんだかとても新鮮だった。これはただ「やりたい」盛りの男の子を主人公にした従来の青春コメディーとは一線を画する。
このテンションの低さはただ事ではない。それは女性監督だから冷めた視線を主人公たちに向けている、だなんていうことではない。だいたい男の子を主人公にしながらも、女の子のほうがシニカルに捉えられてあるほどだ。この青春群像はリアルというよりも、不思議な客観性と、普遍性に支えられてある。
高校3年生たちの話なのに、ぜんぜんそうは見えない。彼らの行為や考えていることは、昔の中学3年生くらいのレベルで、それは彼らが幼いから、というよりも、彼らの行為が「在りし日の子供たち」のイメージでしかないからだ。だから、ここに描かれるさまざまな事象は全然リアルではない。彼らはイメージの中の子供たちでしかない。
不思議な映画だ。時代設定は一体いつごろなのだろうか。70年代くらいか、と思ったが、実際には厳密な説定はない。だが、出てくる風景は懐かしいくらいに昔っぽい。田舎が舞台だからだろうか。でもそれだけではない。大体高3の女の子が生理になってうろたえるだなんて、不思議すぎる。そんなうぶな17歳ってありか?同級生の男の子とセックスの研究のため、ポルノ映画を見に行くだなんて、一体これは何時代だ?しかも、場末の映画館に行き、トイレから忍び込むだなんて、絶対ありえない。時代錯誤だ、なんて言いたいわけではない。ただ、不思議なのだ。
主人公の柄本時生のエピソードもそうである。海辺の小屋でセックスしようとするなんて、ない、ない。全体的な意匠がすべて在りし日のノスタルジーを感じさせるように出来ている。わざとそんなふうに作ったのだろう。
誰でもない。どこでもない。いつでもない。だが、誰でも、どこにでも、いつの時代にでもあるような、そんな風景がここには描かれる。それは、懐かしくて、切ない。
このテンションの低さはただ事ではない。それは女性監督だから冷めた視線を主人公たちに向けている、だなんていうことではない。だいたい男の子を主人公にしながらも、女の子のほうがシニカルに捉えられてあるほどだ。この青春群像はリアルというよりも、不思議な客観性と、普遍性に支えられてある。
高校3年生たちの話なのに、ぜんぜんそうは見えない。彼らの行為や考えていることは、昔の中学3年生くらいのレベルで、それは彼らが幼いから、というよりも、彼らの行為が「在りし日の子供たち」のイメージでしかないからだ。だから、ここに描かれるさまざまな事象は全然リアルではない。彼らはイメージの中の子供たちでしかない。
不思議な映画だ。時代設定は一体いつごろなのだろうか。70年代くらいか、と思ったが、実際には厳密な説定はない。だが、出てくる風景は懐かしいくらいに昔っぽい。田舎が舞台だからだろうか。でもそれだけではない。大体高3の女の子が生理になってうろたえるだなんて、不思議すぎる。そんなうぶな17歳ってありか?同級生の男の子とセックスの研究のため、ポルノ映画を見に行くだなんて、一体これは何時代だ?しかも、場末の映画館に行き、トイレから忍び込むだなんて、絶対ありえない。時代錯誤だ、なんて言いたいわけではない。ただ、不思議なのだ。
主人公の柄本時生のエピソードもそうである。海辺の小屋でセックスしようとするなんて、ない、ない。全体的な意匠がすべて在りし日のノスタルジーを感じさせるように出来ている。わざとそんなふうに作ったのだろう。
誰でもない。どこでもない。いつでもない。だが、誰でも、どこにでも、いつの時代にでもあるような、そんな風景がここには描かれる。それは、懐かしくて、切ない。