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映画・演劇のレビュー

銀幕遊学レプリカント『眼帯のQ』

2013-04-01 22:03:41 | 演劇
 この手の作品はめっきり減ってしまった。わかりやすくて、たのしい、そんな芝居ばかりが横行する。本来演劇の持っていた可能性は今の小劇場の芝居にはない。そんな中、レトルト内閣の三名刺繍と銀幕遊学レプリカントの佐藤 香聲が仕掛けたこの作品はとても挑発的で刺激的だ。60年代から70年代アングラの王道を行く作品だ。見世物小屋的なドキドキと闇の世界の魔力を併せ持つ。見ている間はなんだかよくわからないけど、でも目が離せない。終わったときには地獄に叩き落とされるような心地よさ、そんな不思議な余韻を残してくれる作品なのだ。でもおどろおどろしいものではなく、どちらかと言うとスタイリッシュでスマートな作品だ。アナクロな作品ではなく、確かな今の演劇としても成立している。

 僕が見た3日目の舞台は、初日、2日目とは別バージョンだったらしい。演出の佐藤さんが飽きてしまって演出を変えたらしい。だからこの最終日が完全版上演らしい。こういうギリギリのところで、最後まで作品を作り続ける姿勢も昔のアングラ演劇らしい。貪欲に手を加えてさらなる高みを目指す。

 開場、同時開演というスタイルもいい。昔、万有引力の芝居がよくしていた。劇場に入ると既に芝居は始まっているのだ。

 4人の個性的な役者たちのアンサンブルを見ているだけでも楽しめる。しかし、彼らが作り出すとても穏やかで静かな狂気の世界の浸ることで、自分が今どこにいるのかすらわからなくなる瞬間の不安と恍惚、生バンドの音楽に導かれて闇の底へと落ちていく、その感じが心地よい。人の心を裸にして、痛めつけ、突き落とす。それを小手先の表層的なものとして、見せるのではなく、とても静かで本質的なものとして描いていくのだ。なぜ、どうして、(タイトルの「Q」)の答え(A)は、ここには用意されていない。(大体、「眼帯」も芝居中に出てこないし。)

 そんな理屈では割り切れないものが、この世界にはある。理由もわからず、追い詰められ、狂っていく。それを、ただ受け入れるか、断固として拒否するか。男は「わからない」を連発する。当然のことだろう。しかし、それだけでは済まされないのも事実だ。刑事の執拗な尋問に、彼は追い詰められていく。「吐け、吐いて楽になれ」と言われる。だが、彼は刑事が投げた桃を受け止めて、その腐りかけたぬるぬるの果実を食べる。吐くのではなく、飲み込むのだ。この2人のキャッチボールが何度も繰り返される。

 何度も死んで、生まれる。鎖に繋がれた女。謎のまま君臨する象徴としての女。取り調べを受ける男とこの女の関係はどうなっているのだろうか。彼は何を隠しているのか。大体、この女には中身がない。作品は、彼女のそんな空洞の迷宮に迷い込んでいくというスタイルを取る。やがて、その女の存在がどんどん大きくなる。そして作品全体を覆い尽くしたとき、ドラマは終焉を迎える。ラストはいつものレプリカントと同じく、栃村さんによるパフォーマンス・ショーとなる。その圧倒的な迫力に観客は納得する。この1本の芝居はそうして終わる。これは理屈ではなく、感覚として受け止めてもらうといい。

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