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映画・演劇のレビュー

『葛城事件』

2017-02-03 00:47:31 | 映画
昨年、劇場で絶対に見ておきたいと思った1作である。なのに、見逃してしまい、一刻も早く見たいと思っていた。ようやくDVDが出たので、さっそく見た。やはり、劇場で見なくてはいけなかった、と思った。この緊張感がTVでは伝わりきらない。だから、見たものからそれを想像するしかない。



優れた映画はストーリーではないから、劇場でなくては正確に目撃できない。わかっていたけど、ここまでもどかしいことは、久々で、見ながらイライラした。それはスクリーンの大きさとかではなく、音の問題である。とても聞き取りにくい。わざとそう作ってある。静かな劇場で耳を澄ませるようにして見るように作られてある。それは暗めの色彩設計も同様だ。TVではこの作品の細部に宿るニュアンスは伝わりきらない。



この家族に起きたことを映画はとても微妙なニュアンスで伝えようとする。もちろん、ある程度なら理解できる。しかし、それは想像でしかなく、ダイレクトにDVDから伝わってくるわけではない。ストーリーも、隙間だらけで、敢えて描かないことで伝えようとする。かなり危険な綱渡りだ。4人家族のそれぞれがきちんと描かれるから、この事件が確かなものとして伝わってくる(気がする)。幾分傲慢な作り方であることは否めない。しかし、闇の部分を暴くことが映画ではない。闇を闇としてそのまま描く方法もある。これはその道を選んだ映画なのだ。



主人公である父親を演じた三浦友和だけではなく、4人が4人とも、(そこに、田中麗奈演じる獄中の次男と結婚した女も含めてよい)不完全な人間で、そのことにいら立っている。あんな事件(無差別殺傷事件)を起こすモンスターを作ってしまう土壌は確かに感じさせる。葛城家が起こす事件、という意味でのこのタイトルは正しい。この映画自体が事件なのだ。



友和の演じた父親はモンスターだ。だが、彼がさらなるモンスターである息子を作り上げたのか。そう言われると、いやそうではない、というしかない。責任の所在を問うのではないけど、様々な要因が彼を事件へと導いた。母親のことも、そうである。兄の自殺も影響したのかもしれない。映画は説明を一切しない。事件を起こした弟の内面にも踏み込まない。彼の抱える闇を肯定なんかしない。犯罪者だ。言い訳もない。無差別に殺人を起こした。理由はない。もともと、この男は異常だった。だが、彼が異常者なら、彼の父親はもっと異常だ。こんな男に育てられたから、こうなったのだ、というほうがわかりやすい。



だが、映画はどこにも責任の所在を置かない。そんなこと、無意味なことだからだ。いくつもの出来事や、状況がこの結論に導く。映画は「通り魔無差別殺人事件」の真相には迫らない。これはあくまでも「葛城(家の)事件」だからだ。
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