言わずと知れた『ジャックと豆の木』の映画化である。最近はこういう童話が続々と大作映画として、作られる。同時期に『オズ はじまりの戦い』(もちろん『オズの魔法使い』だ!)も公開されているし、白雪姫なんて2本も作られた。この後も、まだまだ続くようだが、作品の出来はこれが一番だろう。あのブライアン・シンガーが監督した。
何が面白いか、というと、まずこの作品は原作のイメージをちゃんと引きずりながら、思いもしないオリジナルストーリーへと成長させた。3D映画であることの利点も最大限利用した。「高低差1万メートルの大冒険」というキャッチが、嘘ではないのもいい。天空と地上の落差がとてもよく描けている。一瞬で伸びていく豆の木のビジュアルもすばらしい。巨人たちと人間たちとの戦いも、お話のうまさと相乗効果を発揮して、見応えのあるものにした。同じようなパターンだったが、まるで冴えない映画になった『ガリバー旅行記』との差は歴然だ。ジャック・ブラックを持ってきても、彼のキャラクターだけではどうしようもなかったのだ。
基本ストーリーに忠実に、それをいかにして膨らませるかが、作者の腕の見せ所だ。ちゃんと冒険ものにして、それにラブ・ストーリーをからませた。この手の童話の王道である。無理のないストーリーで、でもちゃんと細部まで、きちんと描く。そういう当たり前のことをおざなりにしないことが大事なのだ。テンポもいい。王女とジャックの出会い、さらには豆の木が強大化して、天空に届くまでの小気味いいスピード。ジャックは王女を助けるための冒険に旅立つ。そして、天空での巨人との戦い。さらには、下界へと降りてきての2回戦。スペクタクルアクションのさまざまな要素が満載され、コンパクトに収まっている。「高さ」を3Dで描くというのも、新機軸だ。
お話にはいらない横道はなく、直球勝負なのもいい。早いテンポではなく、無駄のない展開。それがこの作品のモットーなのだろう。驚くようなお話の新しさはない。それにそんなのはいらない。よく知っているお話を、驚異のビジュアルで見せながら、気持ちのいいストーリーに乗せて語り尽くす。予定調和の満足を観客に与えるのだ。それはかなり難しいことだ。でも、ブライアン・シンガーは、やり遂げた。しかも、ただの子供だましになんかしないのだ。大人も子供も楽しめる正統派ファミリー・ピクチャーに仕立てた。話がもたもたして、退屈した『オズ』とは大違いだ。
何が面白いか、というと、まずこの作品は原作のイメージをちゃんと引きずりながら、思いもしないオリジナルストーリーへと成長させた。3D映画であることの利点も最大限利用した。「高低差1万メートルの大冒険」というキャッチが、嘘ではないのもいい。天空と地上の落差がとてもよく描けている。一瞬で伸びていく豆の木のビジュアルもすばらしい。巨人たちと人間たちとの戦いも、お話のうまさと相乗効果を発揮して、見応えのあるものにした。同じようなパターンだったが、まるで冴えない映画になった『ガリバー旅行記』との差は歴然だ。ジャック・ブラックを持ってきても、彼のキャラクターだけではどうしようもなかったのだ。
基本ストーリーに忠実に、それをいかにして膨らませるかが、作者の腕の見せ所だ。ちゃんと冒険ものにして、それにラブ・ストーリーをからませた。この手の童話の王道である。無理のないストーリーで、でもちゃんと細部まで、きちんと描く。そういう当たり前のことをおざなりにしないことが大事なのだ。テンポもいい。王女とジャックの出会い、さらには豆の木が強大化して、天空に届くまでの小気味いいスピード。ジャックは王女を助けるための冒険に旅立つ。そして、天空での巨人との戦い。さらには、下界へと降りてきての2回戦。スペクタクルアクションのさまざまな要素が満載され、コンパクトに収まっている。「高さ」を3Dで描くというのも、新機軸だ。
お話にはいらない横道はなく、直球勝負なのもいい。早いテンポではなく、無駄のない展開。それがこの作品のモットーなのだろう。驚くようなお話の新しさはない。それにそんなのはいらない。よく知っているお話を、驚異のビジュアルで見せながら、気持ちのいいストーリーに乗せて語り尽くす。予定調和の満足を観客に与えるのだ。それはかなり難しいことだ。でも、ブライアン・シンガーは、やり遂げた。しかも、ただの子供だましになんかしないのだ。大人も子供も楽しめる正統派ファミリー・ピクチャーに仕立てた。話がもたもたして、退屈した『オズ』とは大違いだ。