習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『今宵フィッツジェラルド劇場で』

2008-02-07 23:55:37 | 映画
 ロバート・アルトマンがその人生の最期に撮った映画。彼の大好きな音楽もので、群集劇。上映時間はあまり長くはない。こんなにもあっさりした映画を遺して逝ってしまった。なんだか、潔い気もする。ここには、彼を慕った大スターたちが大挙して出演している。でも、当然ながらこれ見よがしのスターたちの競演にはなってない。

 3時間を越える大作となった『ショートカッツ』以降アルトマンはもうあれ以上の作品を作る気はなかったようだ。あれで遣り尽してしまったのだろう。そんなふうに言えるような仕事を成し遂げられるなんてほんとうに凄いことだ。それ以降の彼の作品は肩の力が抜けたものが多い。抜け殻になったとか、老いてしまったとか、いうのとは違う。余裕をもって映画を楽しんでいる。自由自在なのである。「心の命ずるままにしても矩を越えず」の境地か。

 『マグノリア』のポール・トーマス・アンダーソン監督が今回の映画に監督補佐で就いたというエピソードも素敵だ。彼はこの老巨匠の確実に最期になりそうだった仕事(そして、事実そうなった)の現場に入り、もし途中でアルトマンが倒れたならば引き継いで作品を完成させる覚悟でこの作品に望んだのだろう。それは驕りではない。また、悲壮なことでもない。本物の職人が師匠の仕事を引き受けて彼の望んだように作り上げるためのサポートをする。尊敬する先達の現場で、その技術を学ぶという行為はなんだか微笑ましいくらいだ。

 この仕事を成し遂げなくては死ねない、とかいう感じではなく、「最後にもう1本映画を作ってあの世に行こう」なんていう軽いノリで作られている。

 内容自体も、今日を最後に閉鎖される劇場のその最後の1日を描いているのに、誰もがいつも通りで、楽しそうに生き生きとこの1日を過ごしている。感傷なんて表面には出てこない。へんに思い入れたっぷりの映画にでもなっていたなら鼻白むが、そんなものにはならない。

 1時間45分という上映時間の半分くらいが歌を歌っている場面だというのもいい。もちろん手抜きしてる訳もない。こんなふうに自由きままに軽やかに最期のときを迎えようとしたアルトマンらしい生き方がさりげなく提示された佳作である。

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