今年のベストワンは濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』ではないかと思っていたが、もう1本、彼は凄い映画を撮っていた。それがこの映画だ。年末のこの時期に、ミニシアターで1日2回上映という悪条件でようやく公開された。ベルリン映画祭で銀熊賞を受賞した世界が認めた作品なのに、興行的には難しいからこういう形での公開になる。仕方ないけど、なんだかなぁ、である。
こんなにも地味でささやかな映画だから、誰にも知られず公開されて消えていく、というのがよくあるパターンなのだが、今回は海外で高く評価され、ようやく日本でも公開されるというパターンになった。でも、作品自体はなんだかも難しいアート映画ではなく、こんな映画がよくぞまぁ、と思うくらいに、小さな自主映画なのだ。ベルリンの審査委員たちは凄い。こんな作品なのに、見落とすことなく、見逃さず、高く評価した。もちろん濱口監督にはこれまでの実績があるから、注目されていたのかもいれないけど、この地味な会話劇は外国人から評価されそうにない気がした。不思議だ。素晴らしい映画であることは、誰にだってわかるだろうけど、それでもこういう映画ってふつう軽視されがちではないか。扱う出来事があまりにささいすぎる。
3話からなる短編連作である。いずれのお話もタイトル通り、偶然のできごとから、想像していく過程が描かれていく小さなお話である。登場人物も2,から3人だけ。基本ふたりによる会話劇で、ずっと話しているだけ。だけど、そんな彼らを見守るうちに、見えてくるものに驚かされる。偶然は1話から3話にかけてエスカレートするけど、だんだんそんな偶然を疑う気にはならなくなるから、よくできたお話でしかない、とかは思わない。すべて、あったことなのではないか、と信じられる。事実だ、と思う。こういう奇跡のような偶然はある、と思える。だからどうした、とか、いうわけではない。この世の中は広いからこんなこともあるだろう、と思う程度のことなのだ。
そこで展開するできごとを観察するように、見る。驚きはない。冷静に見てしまえるのは、監督の視線が対象となる人物たちから適度の距離を置いているからだろう。同じようにそこから僕たち観客も彼らの動向を見守ることになる。たしかにひどいな、とか、そんなこともあるのか、とか、思う。主人公たちの心情に感情移入できないわけではない。でも、一緒になって怒ったり、傷ついたりはしない。そこには距離があるからだ、この距離感がこの映画の素晴らしいところだろう。
1話目の、同じ男と付き合うふたりの女性、彼の気持ち。3人を同時に会わせるラストの2度の繰り返し。想像と現実にした行為。2話目の逆恨みしてハニートラップを仕掛ける男と、その片棒を担ぐ女、罠にはめられるはずの男。3人によるふたつのドラマの後、最後は20年振りくらいで再会する2人の同窓生。いずれも「たまたま」のお話。でも、そんなことがもしかしたらあるかもしれないし、ないかもしれない。
だからなんなんだ、と簡単に切り捨ててもいいくらいにそれはささやか。だけど、これは彼らの人生においてとんでもなく大事な局面でもある。しかもそれが偶然に支配されている。だから、この映画は心に沁みる。ささやかだけど、大切なこと。エリック・ロメールとホン・サンスの映画を想起させる作品だった。