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いくらなんでもこんなタイトルはないでしょ、と思うくらいに、ストレート。そして、小説自体もタイトルそのままの直球勝負の一作だ。大学時代から付き合い、遠距離恋愛を経て、結婚に至った若いふたりの結婚からの10年間を描く。序章は現在(37歳)の彼の視点から始まり、妻が自分から離れていこうとしているのではないか、と不安を抱く心情が描かれる。
すぐに本編であるお話に突入するのだが、そこからは彼女の視点になる。専業主婦として彼とふたりで暮らしている毎日が描かれていく。彼女は小説家を目指している。作家として身を立てるため、結婚を機に仕事も辞めた。だけど、芽は出ない。新人賞に応募してはいるけど、佳作にもかからない。夫はそんな彼女を応援してくれているけど、もう自信がない。このまま終わるのではないか、と思う。子供はいらないと思っている。ただの主婦では終われないけど、何者かになれるわけでもない。このままずるずる今の生活に埋もれていくのは嫌だ。だから、余計に子供は嫌だ。パートに出るが、上手くやれない。ここまでが第1章。
夫が心を病んでしまい、仕事に行けなくなる。産業医から心療内科での受診を受ける、職場で休職を勧められる。とりあえず3が月休むことになる。ここから2章に。夫の側の視点に移る。
こうしてお話は交互の視点から進んでいく。時間が飛んだり、時には時間が前後することもある。結婚から10年の軌跡が綴られていく。彼女が賞の選外から作家デビューする。小説家としてキャリアをスタートさせる。だが、そこには望んでいたような輝かしい未来はない。自信がない。書けない。さっそくスランプに陥る。夫はようやく職場復帰をする。徐々に慣らし運転だ。だが、以前の部署ではなく、閑職に追いやられる。まだ、十分治せてはいないし、仕方ないと思う。そこでは残業もせず定時で帰れる。ただ、もう仕事の生きがいを感じることはない。
夫婦が助け合って危機を乗り越えていく、というような甘いお話ではない。お互いに生じた距離を自覚しながら、でも、なんとかしてギリギリで今の困難を乗り越えていく。相手のことを理解して、自分のことを理解してもらい、少しずつ不安を乗り越えるしかない。親のこと、金の無心にくる祖母のこと、大切な家族の一員であるセキセイインコのピピの死。転機は訪れる。それは作家デビューではない。家を買うことだ。(ローンのことも含めて)
毎日の生活の中で、大きな出来事も小さな出来事も含めて、いろんなことがある。そんなのは誰でも同じ。だけど、この夫婦を見守りながら感じたのは、生きていることの危うさ。お互いのことを理解するのは難しい。だけど、わかりあえたらいい。わかりあいたい。優しさだけでは乗り越えられない。でも、ADHDと診断されてほっとする。夫ではない。妻の方だ。彼女はずっと自分はふつうじゃない、と思っていた。
こんなふうにして、ふたりにいろんなことが少しずつ起きる。10年だから当たり前だ。交際期間も含めると15年以上だし。そしてそれはこれからも続く。だけど、生きていくしかない。ここに描かれる切り取られた断片の数々は、胸に刺さることばかりだ。確かに僕たちはこんなふうに生きている。そんな思いを抱かされる。そしてそれを納得する。