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映画・演劇のレビュー

宮下奈都『太陽のパスタ、豆のスープ』

2012-04-25 21:17:19 | その他
 いきなり恋人から婚約破棄された女性が主人公。結婚式が2ヵ月後に迫っているのに、そんないきなり、どうして? パニックになる。当然の話だ。自分に何か落ち度でもあったというのか? そうじゃない、らしい。ちゃんと話してもらわなければ、納得できない。

 ここから始まる「本当の自分」探し。もう立ち直れない。でも、人はそれでも生きていかなくてはならない。周囲の人たちに支えられて彼女は少しずつ変わっていく。誰かに幸せにしてもらうのではなく、自分の力で生きるべきだ、と気付く。当たり前のことを当たり前とは思うな。当たり前なんかないのだ。みんなそれぞれ努力している。楽して得を取ることなんか出来ないし、そんなもので得たものなんか意味はない。損得ではなく、ちゃんと生きたかどうかが大事なのだ。

 宮下奈都は新作である『誰かが足りない』でも同じアプローチをしていたが、ここでもポイントとなるのは、食べること、だ。生きていくためには食べなくてはならない。食べなければ死んじゃうよ。でも、食べることは、ただ生きていくためだけではない。生きるため、なのだ。食べることの幸福。おいしいものを食べたなら、ただそれだけで元気になれる。生きるってそういうことなのだ。生きがいなんてよくいうけど、それってそんなに難しいことなんかではない。ただ、この瞬間を幸せにする、そのための「おいしいごはん」。とても大事なことだ。この小説の最終章は「今日のごはん」というタイトルがつけられている。そのシンプルさがこの小説の魅力だ。

 自分を棄てた恋人を見返してやる、なんていうくだらない考えもした。もっときれいになって、自分を棄てた彼にくやしい思いをさせてやる! なんて、本当にばかげた話だ。まだこだわっているからそんなことを考えてしまう。

 初めて家を出て1人暮らしをする。会社を9日間も休む。髪を大胆に切る。エステに行く。所詮そんなものだ。やりたいことリストを作り、実践していく。本当の自分を探すためだ。でも些細なことしか思いつかない。だけど、そこからちゃんと大事なものが見えてくる。ささやかなことをこなしていくうちに、そんななかで、がっかりしたり、ほんのちょっと充実したりを繰り返す。生きること、それは実にささやかなものの積み重ねでしかない。

 答えはちゃんとこの小説の中にある。主人公の女の子は(もうすぐ、30歳だけど)そのことに、やがて気付くのだろう。太陽のような叔母さんと、豆のような友人。(この書き方では誤解を招くし、なんのことなのか、わからないだろうけど、読めばわかる)そして家族。みんなに助けられて、再生していく姿が心地よい。




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