13歳の少年が両親の死を通して、旅に出る。火葬場で出会った同じ境遇の3人の男女。彼らは同じ時に同じように両親を同時に死なせている。今、ここで焼かれている最中。そんな都合のいい設定はふつうない。そんな同世代の4人はこの火葬場から抜け出して旅に出る。
でも、行く当てはないから、家に帰る。それでは旅じゃないじゃん、という突っ込みを入れるしかない展開。さらには順番に4人の家に行くとか。ふつうの映画のような展開はしないだけではなく。見せ方もふつうじゃない。あっと驚く描写の連続。お話の展開も含めてあれよあれよという間にどんどん連れ去られてしまう。彼らが流れ着いたゴミ集積場でバンドを結成して、動画をネットに流したら、大ヒットしてメジャー・デビューとかいうあり得ない展開。ゾンビは出てこない。でも、これはゾンビのように感情のない4人の物語だ。
だがこれは荒唐無稽を見せたい映画ではない。これは感情が壊れてしまった少年少女たちが、自分の居場所を捜す旅なのだ。悲しいはずなのに悲しくない自分の心を持て余す。大林宣彦監督の『HOUSE』を初めて見た時のような新鮮さがあった。ギミックを多用した映像の仕掛けではなく、子供たちに寄り添った視点。彼らの目の高さから彼らの今を目視する。醒めた視点がいい。しかも、それに彼らは実は戸惑う。この気持ちはなんなんだろうか、わからない。わからないまま、進んでいく。そうするしかない。やはり自分を持て余しているのだ。やっぱり。映画は(監督の長久充)はそんな彼らをただただ凝視するのみ。でも、彼らから目を離さない。
感情を排した棒読み然としたせりふ。現実なのに、現実じゃないような映像の数々。このなんとも不思議な映画は彼ら4人の魂の彷徨を追いかける。そんな2時間の旅を通して、なんだか少しだけ心が軽くなった気がする。レイトショーで見たから途中少しうつらうつらしてしまってけど、そんな夢見心地の気分もまたこの映画にぴったりだったかもしれない。