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映画・演劇のレビュー

遊劇体『闇光る』

2006-11-06 00:38:36 | 演劇
 今、再びキタモトさんの演出によりこの作品を見ることの意味は大きい。初演を見た時の驚きと、戸惑いは今も鮮明に記憶に残っている。それくらい強烈だった。あの時は「これがはたして遊劇体といえるのか?」なんて思った。しかし、それも今考えると静かな始まりに過ぎなかったのだ。遊劇体の大きな変貌はあの時から始まったのである。

 『残酷な一夜』から『エディアカラの楽園』へ続く作品を見た目でもう一度この作品を見た時、ここには既に完璧な形で、今のキタモトさんがあることは明白だ。あの5年前、正確にこの作品を見てなかったことに今更ながら気付かされる。もちろんあの時は、それ以前の遊劇体との落差が大きすぎて冷静に受け止めきれなかったのだろう。しかも、リアリズムのセットはそれ以前のアングラカラーを受け継いだものだったし、かってのホームグラウンド西部講堂での上演だったことも影響して、この作品の中にある透明な哀しみを見極められなかったのだ。もちろん作品自体にもかなり揺らぎがあった事も事実だ。今回の作品とでは完成度が違う。

 何もない四角い空間が、底なしの闇に見えてくる。防空壕という前時代の遺物がまだ残る頃。この国が生まれ変わろうとする過渡期に切り捨てていったもの。それが死んでいった少女も含めた4人の男女の物語として描かれていく。今回の神楽舞台はこの作品にぴったりで、何もないこの正方形の空間が、しっかり彼らの聖域に見えてくる。見事な装置である。そして、これだけの緊張感を孕んだ芝居はめったにない。ドアが開いて4人の登場人物が入ってくる幕開けから、4人が去るラストまで身じろぎも出来ない。

 1970年代、高度成長に浮かれる日本列島で、かっての貧しい国が大きく変わっていく。そんな中でその流れに乗り切れないまま、誠実に生きようとした人たちがいた。この芝居はそんな人たちへのレクイエムだ。

 高校時代の恋愛ごと。その秘められた記憶。6年の歳月を経ても、全く癒されることもなく、続く苦しみ。大阪南部の町つだを舞台に、そこでひそやかに生きる人たちのドラマは展開する。これから取り壊されるつだ中学の木造校舎のほとり、地下の防空壕跡。台風が近付く夕暮れから、夜。6年振りにこの町に舞い戻った女、そして、彼女がかって愛した男、彼女を慕っていた男。3人の男女がこの暗闇で再会する。18歳の頃行方不明になった少女を巡る物語の決着がつく。暗い時代の記憶。それぞれ心にあったもの。それが一つの結末をむかえる。

 この切ないラブストーリーは決してただのラブストーリーではない。時代の痛みを切り取るための装置としても使われている。闇の中に閉じ込められた3人のドラマは殺された女性の魂とともにここにある。彼らがあの時代に封じ込めたものが時代の痛みとして伝わってくる。日本が古い日本を完全に棄て去ってしまう、その痛みがこの芝居の根底にはあるのだ。そして、彼らの記憶とともにこの場所は完全に埋められていく。

 一応ミステリー仕立てになっているが、それは劇を作る上での単なる仕掛けでしかない。闇の中に封印していくもの。劇はピカピカの時代を夢見る人たちの心の底に横たわるしこりをダイレクトに突きつけて来る。衝撃的な作品である。

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